2008年11月12日水曜日

友達 一

 梅田《うめだ》の停車場《ステーション》を下《お》りるや否《いな》や自分は母からいいつけられた通り、すぐ俥《くるま》を雇《やと》って岡田《おかだ》の家に馳《か》けさせた。岡田は母方の遠縁に当る男であった。自分は彼がはたして母の何に当るかを知らずにただ疎《うと》い親類とばかり覚えていた。
 大阪へ下りるとすぐ彼を訪《と》うたのには理由があった。自分はここへ来る一週間前ある友達と約束をして、今から十日以内に阪地《はんち》で落ち合おう、そうしていっしょに高野《こうや》登りをやろう、もし時日《じじつ》が許すなら、伊勢から名古屋へ廻《まわ》ろう、と取りきめた時、どっちも指定すべき場所をもたないので、自分はつい岡田の氏名と住所を自分の友達に告げたのである。
「じゃ大阪へ着き次第、そこへ電話をかければ君のいるかいないかは、すぐ分るんだね」と友達は別れるとき念を押した。岡田が電話をもっているかどうか、そこは自分にもはなはだ危《あや》しかったので、もし電話がなかったら、電信でも郵便でも好《い》いから、すぐ出してくれるように頼んでおいた。友達は甲州線《こうしゅうせん》で諏訪《すわ》まで行って、それから引返して木曾《きそ》を通った後《あと》、大阪へ出る計画であった。自分は東海道を一息《ひといき》に京都まで来て、そこで四五日|用足《ようたし》かたがた逗留《とうりゅう》してから、同じ大阪の地を踏む考えであった。
 予定の時日を京都で費《ついや》した自分は、友達の消息《たより》を一刻も早く耳にするため停車場を出ると共に、岡田の家を尋ねなければならなかったのである。けれどもそれはただ自分の便宜《べんぎ》になるだけの、いわば私の都合に過ぎないので、先刻《さっき》云った母のいいつけとはまるで別物であった。母が自分に向って、あちらへ行ったら何より先に岡田を尋ねるようにと、わざわざ荷になるほど大きい鑵入《かんいり》の菓子を、御土産《おみやげ》だよと断《ことわ》って、鞄《かばん》の中へ入れてくれたのは、昔気質《むかしかたぎ》の律儀《りちぎ》からではあるが、その奥にもう一つ実際的の用件を控《ひか》えているからであった。
 自分は母と岡田が彼らの系統上どんな幹の先へ岐《わか》れて出た、どんな枝となって、互に関係しているか知らないくらいな人間である。母から依託された用向についても大した期待も興味もなかった。けれども久しぶりに岡田という人物――落ちついて四角な顔をしている、いくら髭《ひげ》を欲しがっても髭の容易に生えない、しかも頭の方がそろそろ薄くなって来そうな、――岡田という人物に会う方の好奇心は多少動いた。岡田は今までに所用で時々出京した。ところが自分はいつもかけ違って会う事ができなかった。したがって強く酒精《アルコール》に染められた彼《かれ》の四角な顔も見る機会を奪われていた。自分は俥《くるま》の上で指を折って勘定して見た。岡田がいなくなったのは、ついこの間のようでも、もう五六年になる。彼の気にしていた頭も、この頃ではだいぶ危険に逼《せま》っているだろうと思って、その地《じ》の透《す》いて見えるところを想像したりなどした。
 岡田の髪の毛は想像した通り薄くなっていたが、住居《すまい》は思ったよりもさっぱりした新しい普請《ふしん》であった。
「どうも上方流《かみがたりゅう》で余計な所に高塀《たかべい》なんか築き上《あげ》て、陰気《いんき》で困っちまいます。そのかわり二階はあります。ちょっと上《あが》って御覧なさい」と彼は云った。自分は何より先に友達の事が気になるので、こうこういう人からまだ何とも通知は来ないかと聞いた。岡田は不思議そうな顔をして、いいえと答えた。

 自分は岡田に連れられて二階へ上《あが》って見た。当人が自慢するほどあって眺望《ちょうぼう》はかなり好かったが、縁側《えんがわ》のない座敷の窓へ日が遠慮なく照り返すので、暑さは一通りではなかった。床《とこ》の間《ま》にかけてある軸物《じくもの》も反《そ》っくり返っていた。
「なに日が射すためじゃない。年《ねん》が年中《ねんじゅう》かけ通しだから、糊《のり》の具合でああなるんです」と岡田は真面目《まじめ》に弁解した。
「なるほど梅《うめ》に鶯《うぐいす》だ」と自分も云いたくなった。彼は世帯を持つ時の用意に、この幅《ふく》を自分の父から貰《もら》って、大得意で自分の室《へや》へ持って来て見せたのである。その時自分は「岡田君この呉春《ごしゅん》は偽物《ぎぶつ》だよ。それだからあの親父《おやじ》が君にくれたんだ」と云って調戯《からかい》半分岡田を怒らした事を覚えていた。
 二人は懸物《かけもの》を見て、当時を思い出しながら子供らしく笑った。岡田はいつまでも窓に腰をかけて話を続ける風に見えた。自分も襯衣《シャツ》に洋袴《ズボン》だけになってそこに寝転《ねころ》びながら相手になった。そうして彼から天下茶屋《てんがちゃや》の形勢だの、将来の発展だの、電車の便利だのを聞かされた。自分は自分にそれほど興味のない問題を、ただ素直にはいはいと聴《き》いていたが、電車の通じる所へわざわざ俥《くるま》へ乗って来た事だけは、馬鹿らしいと思った。二人はまた二階を下りた。
 やがて細君が帰って来た。細君はお兼《かね》さんと云って、器量《きりょう》はそれほどでもないが、色の白い、皮膚の滑《なめ》らかな、遠見《とおみ》の大変好い女であった。父が勤めていたある官省の属官の娘で、その頃は時々勝手口から頼まれものの仕立物などを持って出入《でいり》をしていた。岡田はまたその時分自分の家の食客《しょっかく》をして、勝手口に近い書生部屋で、勉強もし昼寝《ひるね》もし、時には焼芋《やきいも》なども食った。彼らはかようにして互に顔を知り合ったのである。が、顔を知り合ってから、結婚が成立するまでに、どんな径路《けいろ》を通って来たか自分はよく知らない。岡田は母の遠縁に当る男だけれども、自分の宅《うち》では書生同様にしていたから、下女達は自分や自分の兄には遠慮して云い兼ねる事までも、岡田に対してはつけつけと云って退《の》けた。「岡田さんお兼さんがよろしく」などという言葉は、自分も時々耳にした。けれども岡田はいっこう気にもとめない様子だったから、おおかたただの徒事《いたずら》だろうと思っていた。すると岡田は高商を卒業して一人で大阪のある保険会社へ行ってしまった。地位は自分の父が周旋《しゅうせん》したのだそうである。それから一年ほどして彼はまた飄然《ひょうぜん》として上京した。そうして今度はお兼さんの手を引いて大阪へ下《くだ》って行った。これも自分の父と母が口を利《き》いて、話を纏《まと》めてやったのだそうである。自分はその時富士へ登って甲州路を歩く考えで家にはいなかったが、後でその話を聞いてちょっと驚いた。勘定して見ると、自分が御殿場で下りた汽車と擦《す》れ違って、岡田は新しい細君を迎えるために入京したのである。
 お兼さんは格子《こうし》の前で畳んだ洋傘《こうもり》を、小さい包と一緒に、脇《わき》の下に抱《かか》えながら玄関から勝手の方に通り抜ける時、ちょっときまりの悪そうな顔をした。その顔は日盛《ひざかり》の中を歩いた火気《ほてり》のため、汗を帯びて赤くなっていた。
「おい御客さまだよ」と岡田が遠慮のない大きな声を出した時、お兼さんは「ただいま」と奥の方で優《やさ》しく答えた。自分はこの声の持主に、かつて着た久留米絣《くるめがすり》やフランネルの襦袢《じゅばん》を縫って貰った事もあるのだなとふと懐《なつ》かしい記憶を喚起《よびおこ》した。

 お兼《かね》さんの態度は明瞭《めいりょう》で落ちついて、どこにも下卑《げび》た家庭に育ったという面影《おもかげ》は見えなかった。「二三日前《にさんちまえ》からもうおいでだろうと思って、心待《こころまち》に御待申しておりました」などと云って、眼の縁《ふち》に愛嬌《あいきょう》を漂《ただ》よわせるところなどは、自分の妹よりも品《ひん》の良《い》いばかりでなく、様子も幾分か立優《たちまさ》って見えた。自分はしばらくお兼さんと話しているうちに、これなら岡田がわざわざ東京まで出て来て連れて行ってもしかるべきだという気になった。
 この若い細君がまだ娘盛《むすめざかり》の五六年|前《ぜん》に、自分はすでにその声も眼鼻立《めはなだち》も知っていたのではあるが、それほど親しく言葉を換《か》わす機会もなかったので、こうして岡田夫人として改まって会って見ると、そう馴々《なれなれ》しい応対もできなかった。それで自分は自分と同階級に属する未知の女に対するごとく、畏《かしこ》まった言語をぽつぽつ使った。岡田はそれがおかしいのか、または嬉《うれ》しいのか、時々自分の顔を見て笑った。それだけなら構わないが、折節《おりせつ》はお兼さんの顔を見て笑った。けれどもお兼さんは澄ましていた。お兼さんがちょっと用があって奥へ立った時、岡田はわざと低い声をして、自分の膝《ひざ》を突っつきながら、「なぜあいつに対して、そう改まってるんです。元から知ってる間柄《あいだがら》じゃありませんか」と冷笑《ひやか》すような句調《くちょう》で云った。
「好い奥さんになったね。あれなら僕が貰やよかった」
「冗談《じょうだん》いっちゃいけない」と云って岡田は一層大きな声を出して笑った。やがて少し真面目《まじめ》になって、「だってあなたはあいつの悪口をお母さんに云ったっていうじゃありませんか」と聞いた。
「なんて」
「岡田も気の毒だ、あんなものを大阪|下《くだ》りまで引っ張って行くなんて。もう少し待っていればおれが相当なのを見《め》つけてやるのにって」
「そりゃ君昔の事ですよ」
 こうは答えたようなものの、自分は少し恐縮した。かつちょっと狼狽《ろうばい》した。そうして先刻《さっき》岡田が変な眼遣《めづかい》をして、時々細君の方を見た意味をようやく理解した。
「あの時は僕も母から大変叱られてね。おまえのような書生に何が解るものか。岡田さんの事はお父さんと私《わたし》とで当人|達《たち》に都合の好いようにしたんだから、余計な口を利《き》かずに黙って見ておいでなさいって。どうも手痛《てひど》くやられました」
 自分は母から叱られたという事実が、自分の弁解にでもなるような語気で、その時の様子を多少誇張して述べた。岡田はますます笑った。
 それでもお兼さんがまた座敷へ顔を出した時、自分は多少きまりの悪い思をしなければならなかった。人の悪い岡田はわざわざ細君に、「今|二郎《じろう》さんがおまえの事を大変|賞《ほ》めて下すったぜ。よく御礼を申し上げるが好い」と云った。お兼さんは「あなたがあんまり悪口をおっしゃるからでしょう」と夫《おっと》に答えて、眼では自分の方を見て微笑した。
 夕飯前《ゆうはんまえ》に浴衣《ゆかた》がけで、岡田と二人岡の上を散歩した。まばらに建てられた家屋や、それを取り巻く垣根が東京の山の手を通り越した郊外を思い出させた。自分は突然大阪で会合しようと約束した友達の消息が気になり出した。自分はいきなり岡田に向って、「君の所にゃ電話はないんでしょうね」と聞いた。「あの構《かまえ》で電話があるように見えますかね」と答えた岡田の顔には、ただ機嫌《きげん》の好《い》い浮き浮きした調子ばかり見えた。

 それは夕方の比較的長く続く夏の日の事であった。二人の歩いている岡の上はことさら明るく見えた。けれども、遠くにある立樹《たちき》の色が空に包まれてだんだん黒ずんで行くにつれて、空の色も時を移さず変って行った。自分は名残《なごり》の光で岡田の顔を見た。
「君東京にいた時よりよほど快豁《かいかつ》になったようですね。血色も大変好い。結構だ」
 岡田は「ええまあお蔭《かげ》さまで」と云ったような瞹眛《あいまい》な挨拶《あいさつ》をしたが、その挨拶のうちには一種|嬉《うれ》しそうな調子もあった。
 もう晩飯《ばんめし》の用意もできたから帰ろうじゃないかと云って、二人|帰路《きろ》についた時、自分は突然岡田に、「君とお兼さんとは大変仲が好いようですね」といった。自分は真面目なつもりだったけれども、岡田にはそれが冷笑《ひやかし》のように聞えたと見えて、彼はただ笑うだけで何の答えもしなかった。けれども別に否《いな》みもしなかった。
 しばらくしてから彼は今までの快豁《かいかつ》な調子を急に失った。そうして何か秘密でも打ち明けるような具合に声を落した。それでいて、あたかも独言《ひとりごと》をいう時のように足元を見つめながら、「これであいつといっしょになってから、かれこれもう五六年近くになるんだが、どうも子供ができないんでね、どういうものか。それが気がかりで……」と云った。
 自分は何とも答えなかった。自分は子供を生ますために女房を貰う人は、天下に一人もあるはずがないと、かねてから思っていた。しかし女房を貰ってから後《あと》で、子供が欲しくなるものかどうか、そこになると自分にも判断がつかなかった。
「結婚すると子供が欲しくなるものですかね」と聞いて見た。
「なに子供が可愛《かわい》いかどうかまだ僕にも分りませんが、何しろ妻《さい》たるものが子供を生まなくっちゃ、まるで一人前の資格がないような気がして……」
 岡田は単にわが女房を世間並《せけんなみ》にするために子供を欲するのであった。結婚はしたいが子供ができるのが怖《こわ》いから、まあもう少し先へ延《のば》そうという苦しい世の中ですよと自分は彼に云ってやりたかった。すると岡田が「それに二人《ふたり》ぎりじゃ淋しくってね」とまたつけ加えた。
「二人ぎりだから仲が好いんでしょう」
「子供ができると夫婦の愛は減るもんでしょうか」
 岡田と自分は実際二人の経験以外にあることをさも心得たように話し合った。
 宅《うち》では食卓の上に刺身だの吸物だのが綺麗《きれい》に並んで二人を待っていた。お兼さんは薄化粧《うすげしょう》をして二人のお酌をした。時々は団扇《うちわ》を持って自分を扇《あお》いでくれた。自分はその風が横顔に当るたびに、お兼さんの白粉《おしろい》の匂《におい》を微《かす》かに感じた。そうしてそれが麦酒《ビール》や山葵《わさび》の香《か》よりも人間らしい好い匂のように思われた。
「岡田君はいつもこうやって晩酌《ばんしゃく》をやるんですか」と自分はお兼さんに聞いた。お兼さんは微笑しながら、「どうも後引上戸《あとひきじょうご》で困ります」と答えてわざと夫の方を見やった。夫は、「なに後《あと》が引けるほど飲ませやしないやね」と云って、傍《そば》にある団扇を取って、急に胸のあたりをはたはたいわせた。自分はまた急にこっちで会うべきはずの友達の事に思い及んだ。
「奥さん、三沢《みさわ》という男から僕に宛《あ》てて、郵便か電報か何か来ませんでしたか。今散歩に出た後で」
「来やしないよ。大丈夫だよ、君。僕の妻はそう云う事はちゃんと心得てるんだから。ねえお兼。――好いじゃありませんか、三沢の一人や二人来たって来なくたって。二郎さん、そんなに僕の宅が気に入らないんですか。第一《だいち》あなたはあの一件からして片づけてしまわなくっちゃならない義務があるでしょう」
 岡田はこう云って、自分の洋盃《コップ》へ麦酒をゴボゴボと注《つ》いだ。もうよほど酔っていた。

 その晩はとうとう岡田の家《うち》へ泊った。六畳の二階で一人寝かされた自分は、蚊帳《かや》の中の暑苦しさに堪《た》えかねて、なるべく夫婦に知れないように、そっと雨戸を開け放った。窓際《まどぎわ》を枕に寝ていたので、空は蚊帳越にも見えた。試《ためし》に赤い裾《すそ》から、頭だけ出して眺《なが》めると星がきらきらと光った。自分はこんな事をする間にも、下にいる岡田夫婦の今昔《こんじゃく》は忘れなかった。結婚してからああ親しくできたらさぞ幸福だろうと羨《うらや》ましい気もした。三沢から何《なん》の音信《たより》のないのも気がかりであった。しかしこうして幸福な家庭の客となって、彼の消息を待つために四五日ぐずぐずしているのも悪くはないと考えた。一番どうでも好かったのは岡田のいわゆる「例の一件」であった。
 翌日《よくじつ》眼が覚《さ》めると、窓の下の狭苦しい庭で、岡田の声がした。
「おいお兼とうとう絞《しぼ》りのが咲き出したぜ。ちょいと来て御覧」
 自分は時計を見て、腹這《はらばい》になった。そうして燐寸《マッチ》を擦《す》って敷島《しきしま》へ火を点《つ》けながら、暗《あん》にお兼さんの返事を待ち構えた。けれどもお兼さんの声はまるで聞えなかった。岡田は「おい」「おいお兼」をまた二三度繰返した。やがて、「せわしない方ね、あなたは。今朝顔どころじゃないわ、台所が忙《いそが》しくって」という言葉が手に取るように聞こえた。お兼さんは勝手から出て来て座敷の縁側《えんがわ》に立っているらしい。
「それでも綺麗《きれい》ね。咲いて見ると。――金魚はどうして」
「金魚は泳いでいるがね。どうもこのほうはむずかしいらしい」
 自分はお兼さんが、死にかかった金魚の運命について、何かセンチメンタルな事でもいうかと思って、煙草《たばこ》を吹かしながら聴いていた。けれどもいくら待っていても、お兼さんは何とも云わなかった。岡田の声も聞こえなかった。自分は煙草を捨てて立ち上った。そうしてかなり急な階子段《はしごだん》を一段ずつ音を立てて下へ降りて行った。
 三人で飯を済ました後《あと》、岡田は会社へ出勤しなければならないので、緩《ゆっく》り案内をする時間がないのを残念がった。自分はここへ来る前から、そんな事を全く予期していなかったと云って、白い詰襟姿《つめえりすがた》の彼を坐ったまま眺《なが》めていた。
「お兼、お前暇があるなら二郎さんを案内して上げるが好い」と岡田は急に思いついたような顔つきで云った。お兼さんはいつもの様子に似ず、この時だけは夫にも自分にも何とも答えなかった。自分はすぐ、「なに構わない。君といっしょに君の会社のある方角まで行って、そこいらを逍遥《ぶらつ》いて見よう」と云いながら立った。お兼さんは玄関で自分の洋傘《こうもり》を取って、自分に手渡ししてくれた。それからただ一口「お早く」と云った。
 自分は二度電車に乗せられて、二度下ろされた。そうして岡田の通《かよ》っている石造の会社の周囲《しゅうい》を好い加減に歩き廻った。同じ流れか、違う流れか、水の面《おもて》が二三度目に入《はい》った。そのうち暑さに堪《た》えられなくなって、また好い加減に岡田の家《うち》へ帰って来た。
 二階へ上《あが》って、――自分は昨夜《ゆうべ》からこの六畳の二階を、自分の室《へや》と心得るようになった。――休息していると、下から階子段を踏む音がして、お兼さんが上《あが》って来た。自分は驚いて脱《ぬ》いだ肌《はだ》を入れた。昨日|廂《ひさし》に束《つか》ねてあったお兼さんの髪は、いつの間にか大きな丸髷《まるまげ》に変っていた。そうして桃色の手絡《てがら》が髷《まげ》の間から覗《のぞ》いていた。

 お兼さんは黒い盆の上に載《の》せた平野水《ひらのすい》と洋盃《コップ》を自分の前に置いて、「いかがでございますか」と聞いた。自分は「ありがとう」と答えて、盆を引き寄せようとした。お兼さんは「いえ私が」と云って急に罎《びん》を取り上げた。自分はこの時黙ってお兼さんの白い手ばかり見ていた。その手には昨夕《ゆうべ》気がつかなかった指環《ゆびわ》が一つ光っていた。
 自分が洋盃《コップ》を取上げて咽喉《のど》を潤《うるお》した時、お兼さんは帯の間から一枚の葉書を取り出した。
「先ほどお出《で》かけになった後《あと》で」と云いかけて、にやにや笑っている。自分はその表面に三沢の二字を認めた。
「とうとう参りましたね。御待かねの……」
 自分は微笑しながら、すぐ裏を返して見た。
「一両日|後《おく》れるかも知れぬ」
 葉書に大きく書いた文字はただこれだけであった。
「まるで電報のようでございますね」
「それであなた笑ってたんですか」
「そう云う訳でもございませんけれども、何だかあんまり……」
 お兼さんはそこで黙ってしまった。自分はお兼さんをもっと笑わせたかった。
「あんまり、どうしました」
「あんまりもったいないようですから」
 お兼さんのお父さんというのは大変|緻密《ちみつ》な人で、お兼さんの所へ手紙を寄こすにも、たいていは葉書で用を弁じている代りに蠅《はえ》の頭のような字を十五行も並べて来るという話しを、お兼さんは面白そうにした。自分は三沢の事を全く忘れて、ただ前にいるお兼さんを的《まと》に、さまざまの事を尋ねたり聞いたりした。
「奥さん、子供が欲しかありませんか。こうやって、一人で留守《るす》をしていると退屈するでしょう」
「そうでもございませんわ。私《わたくし》兄弟の多い家《うち》に生れて大変苦労して育ったせいか、子供ほど親を意地見《いじめ》るものはないと思っておりますから」
「だって一人や二人はいいでしょう。岡田君は子供がないと淋《さみ》しくっていけないって云ってましたよ」
 お兼さんは何にも答えずに窓の外の方を眺《なが》めていた。顔を元へ戻しても、自分を見ずに、畳の上にある平野水の罎を見ていた。自分は何にも気がつかなかった。それでまた「奥さんはなぜ子供ができないんでしょう」と聞いた。するとお兼さんは急に赤い顔をした。自分はただ心やすだてで云ったことが、はなはだ面白くない結果を引き起したのを後悔した。けれどもどうする訳《わけ》にも行かなかった。その時はただお兼さんに気の毒をしたという心だけで、お兼さんの赤くなった意味を知ろうなどとは夢にも思わなかった。
 自分はこの居苦《いぐる》しくまた立苦《たちぐる》しくなったように見える若い細君を、どうともして救わなければならなかった。それには是非共話頭を転ずる必要があった。自分はかねてからさほど重きを置いていなかった岡田のいわゆる「例の一件」をとうとう持ち出した。お兼さんはすぐ元の態度を回復した。けれども夫に責任の過半を譲《ゆず》るつもりか、けっして多くを語らなかった。自分もそう根掘り葉掘り聞きもしなかった。

「例の一件」が本式に岡田の口から持ち出されたのはその晩の事であった。自分は露《つゆ》に近い縁側《えんがわ》を好んでそこに座を占めていた。岡田はそれまでお兼さんと向き合って座敷の中に坐《すわ》っていたが、話が始まるや否や、すぐ立って縁側へ出て来た。
「どうも遠くじゃ話がし悪《にく》くっていけない」と云いながら、模様のついた座蒲団《ざぶとん》を自分の前に置いた。お兼さんだけは依然として元の席を動かなかった。
「二郎さん写真は見たでしょう、この間僕が送った」
 写真の主《ぬし》というのは、岡田と同じ会社へ出る若い人であった。この写真が来た時|家《うち》のものが代りばんこに見て、さまざまの批評を加えたのを、岡田は知らないのである。
「ええちょっと見ました」
「どうです評判は」
「少し御凸額《おでこ》だって云ったものもあります」
 お兼さんは笑い出した。自分もおかしくなった。と云うのは、その男の写真を見て、お凸額だと云い始めたものは、実のところ自分だからである。
「お重《しげ》さんでしょう、そんな悪口をいうのは。あの人の口にかかっちゃ、たいていのものは敵《かな》わないからね」
 岡田は自分の妹のお重を大変口の悪い女だと思っている。それも彼がお重から、あなたの顔は将棋《しょうぎ》の駒《こま》見たいよと云われてからの事である。
「お重さんに何と云われたって構わないが肝心《かんじん》の当人はどうなんです」
 自分は東京を立つとき、母から、貞《さだ》には無論異存これなくという返事を岡田の方へ出しておいたという事を確めて来たのである。だから、当人は母から上げた返事の通りだと答えた。岡田夫婦はまた佐野《さの》という婿《むこ》になるべき人の性質や品行や将来の望みや、その他いろいろの条項について一々自分に話して聞かせた。最後に当人がこの縁談の成立を切望している例などを挙げた。
 お貞さんは器量から云っても教育から云っても、これという特色のない女である。ただ自分の家の厄介《やっかい》ものという名があるだけである。
「先方があまり乗気になって何だか剣呑《けんのん》だから、あっちへ行ったらよく様子を見て来ておくれ」
 自分は母からこう頼まれたのである。自分はお貞さんの運命について、それほど多くの興味はもち得なかったけれども、なるほどそう望まれるのは、お貞さんのために結構なようでまた危険な事だろうとも考えていた。それで今まで黙って岡田夫婦の云う事を聞いていた自分は、ふと口を滑《すべ》らした。――
「どうしてお貞さんが、そんなに気に入ったものかな。まだ会った事もないのに」
「佐野さんはああいうしっかりした方だから、やっぱり辛抱人《しんぼうにん》を御貰《おもら》いになる御考えなんですよ」
 お兼さんは岡田の方を向いて、佐野の態度をこう弁解した。岡田はすぐ、「そうさ」と答えた。そうしてそのほかには何も考えていないらしかった。自分はとにかくその佐野という人に明日《あした》会おうという約束を岡田として、また六畳の二階に上った。頭を枕《まくら》に着けながら、自分の結婚する場合にも事がこう簡単に運ぶのだろうかと考えると、少し恐ろしい気がした。