2008年11月11日火曜日

二十三

 三沢は「あの女」の事を自分の予想以上に詳《くわ》しく知っていた。そうして自分が病院に行くたびに、その話を第一の問題として持ち出した。彼は自分のいない間《ま》に得た「あの女」の内状を、あたかも彼と関係ある婦人の内所話《ないしょばなし》でも打ち明けるごとくに語った。そうしてそれらの知識を自分に与えるのを誇りとするように見えた。
 彼の語るところによると「あの女」はある芸者屋の娘分として大事に取扱かわれる売子《うれっこ》であった。虚弱な当人はまたそれを唯一の満足と心得て商売に勉強していた。ちっとやそっと身体《からだ》が悪くてもけっして休むような横着はしなかった。時たま堪《た》えられないで床に就《つ》く場合でも、早く御座敷に出たい出たいというのを口癖にしていた。……
「今あの女の室《へや》に来ているのは、その芸者屋に古くからいる下女さ。名前は下女だけれど、古くからいるんで、自然権力があるから、下女らしくしちゃいない。まるで叔母さんか何ぞのようだ。あの女も下女のいう事だけは素直によく聞くので、厭《いや》がる薬を呑ませたり、わがままを云い募《つの》らせないためには必要な人間なんだ」
 三沢はすべてこういう内幕《うちまく》の出所《でどころ》をみんな彼の看護婦に帰して、ことごとく彼女から聞いたように説明した。けれども自分は少しそこに疑わしい点を認めないでもなかった。自分は三沢が便所へ行った留守に、看護婦を捕《つら》まえて、「三沢はああ云ってるが、僕のいないとき、あの女の室へ行って話でもするんじゃないか」と聞いて見た。看護婦は真面目《まじめ》な顔をして「そんな事ありゃしまへん」というような言葉で、一口に自分の疑いを否定した。彼女はそれからそういうお客が見舞に行ったところで、身上話などができるはずがないと弁解した。そうして「あの女」の病気がだんだん険悪の一方へ落ち込んで行く心細い例を話して聞かせた。
「あの女」は嘔気《はきけ》が止まないので、上から営養の取りようがなくなって、昨日《きのう》とうとう滋養浣腸《じようかんちょう》を試みた。しかしその結果は思わしくなかった。少量の牛乳と鶏卵《たまご》を混和した単純な液体ですら、衰弱を極《きわ》めたあの女の腸には荷が重過ぎると見えて予期通り吸収されなかった。
 看護婦はこれだけ語って、このくらい重い病人の室へ入って、誰が悠々《ゆうゆう》と身上話などを聞いていられるものかという顔をした。自分も彼女の云うところが本当だと思った。それで三沢の事は忘れて、ただ綺羅《きら》を着飾った流行の芸者と、恐ろしい病気に罹《かか》った憐《あわれ》な若い女とを、黙って心のうちに対照した。
「あの女」は器量と芸を売る御蔭《おかげ》で、何とかいう芸者屋の娘分になって家《うち》のものから大事がられていた。それを売る事ができなくなった今でも、やはり今まで通り宅《うち》のものから大事がられるだろうか。もし彼らの待遇が、あの女の病気と共にだんだん軽薄に変って行くなら、毒悪《どくあく》な病と苦戦するあの女の心はどのくらい心細いだろう。どうせ芸妓屋《げいしゃや》の娘分になるくらいだから、生みの親は身分のあるものでないにきまっている。経済上の余裕がなければ、どう心配したって役には立つまい。
 自分はこんな事も考えた。便所から帰った三沢に「あの女の本当の親はあるのか知ってるか」と尋ねて見た。

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