2008年11月10日月曜日

 自分はその夕方宿の払《はらい》を済まして母や兄といっしょになった。三人は少し夕飯《ゆうめし》が後《おく》れたと見えて、膳《ぜん》を控えたまま楊枝《ようじ》を使っていた。自分は彼らを散歩に連れ出そうと試みた。母は疲れたと云って応じなかった。兄は面倒らしかった。嫂だけには行きたい様子が見えた。
「今夜は御止《およ》しよ」と母が留《と》めた。
 兄は寝転《ねころ》びながら話をした。そうして口では大阪を知ってるような事を云った。けれどもよく聞いて見ると、知っているのは天王寺《てんのうじ》だの中の島だの千日前《せんにちまえ》だのという名前ばかりで地理上の知識になると、まるで夢のように散漫|極《きわ》まるものであった。
 もっとも「大坂城の石垣の石は実に大きかった」とか、「天王寺の塔の上へ登って下を見たら眼が眩《くら》んだ」とか断片的の光景は実際覚えているらしかった。そのうちで一番面白く自分の耳に響いたのは彼の昔|泊《とま》ったという宿屋の夜の景色であった。
「細い通りの角で、欄干《らんかん》の所へ出ると柳が見えた。家が隙間《すきま》なく並んでいる割には閑静で、窓から眺《なが》められる長い橋も画《え》のように趣《おもむき》があった。その上を通る車の音も愉快に響いた。もっとも宿そのものは不親切で汚なくって困ったが……」
「いったいそれは大阪のどこなの」と嫂が聞いたが、兄は全く知らなかった。方角さえ分らないと答えた。これが兄の特色であった。彼は事件の断面を驚くばかり鮮《あざや》かに覚えている代りに、場所の名や年月《としつき》を全く忘れてしまう癖があった。それで彼は平気でいた。
「どこだか解らなくっちゃつまらないわね」と嫂がまた云った。兄と嫂とはこんなところでよく喰い違った。兄の機嫌《きげん》の悪くない時はそれでも済むが、少しの具合で事が面倒になる例《ためし》も稀《まれ》ではなかった。こういう消息に通じた母は、「どこでも構わないが、それだけじゃないはずだったのにね。後《あと》を御話しよ」と云った。兄は「御母さんにも直《なお》にもつまらない事ですよ」と断って、「二郎そこの二階に泊ったとき面白いと思ったのはね」と自分に話し掛けた。自分は固《もと》より兄の話を一人で聞くべき責任を引受けた。
「どうしました」
「夜になって一寝入《ひとねいり》して眼が醒《さ》めると、明かるい月が出て、その月が青い柳を照していた。それを寝ながら見ているとね、下の方で、急にやっという掛声が聞こえた。あたりは案外静まり返っているので、その掛声がことさら強く聞こえたんだろう、おれはすぐ起きて欄干《らんかん》の傍《そば》まで出て下を覗《のぞ》いた。すると向《むこう》に見える柳の下で、真裸《まっぱだか》な男が三人代る代る大《おおき》な沢庵石《たくあんいし》の持ち上げ競《くら》をしていた。やっと云うのは両手へ力を入れて差し上げる時の声なんだよ。それを三人とも夢中になって熱心にやっていたが、熱心なせいか、誰も一口も物を云わない。おれは明らかな月影に黙って動く裸体《はだか》の人影を見て、妙に不思議な心持がした。するとそのうちの一人が細長い天秤棒《てんびんぼう》のようなものをぐるりぐるりと廻し始めた……」
「何だか水滸伝《すいこでん》のような趣《おもむき》じゃありませんか」
「その時からしてがすでに縹緲《ひょうびょう》たるものさ。今日《こんにち》になって回顧するとまるで夢のようだ」
 兄はこんな事を回想するのが好であった。そうしてそれは母にも嫂《あによめ》にも通じない、ただ父と自分だけに解る趣であった。
「その時大阪で面白いと思ったのはただそれぎりだが、何だかそんな連想を持って来て見ると、いっこう大阪らしい気がしないね」
 自分は三沢のいた病院の三階から見下《みおろ》される狭い綺麗《きれい》な通を思い出した。そうして兄の見た棒使や力持はあんな町内にいる若い衆じゃなかろうかと想像した。
 岡田夫婦は約のごとくその晩また尋《たず》ねて来た。

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