2008年11月6日木曜日

二十

 二三週間はそれなり過ぎた。そのうち秋がだんだん深くなった。葉鶏頭《はげいとう》の濃い色が庭を覗《のぞ》くたびに自分の眼に映った。
 兄は俥《くるま》で学校へ出た。学校から帰るとたいていは書斎へ這入《はい》って何かしていた。家族のものでも滅多《めった》に顔を合わす機会はなかった。用があるとこっちから二階に上《のぼ》って、わざわざ扉を開けるのが常になっていた。兄はいつでも大きな書物の上に眼を向けていた。それでなければ何か万年筆で細かい字を書いていた。一番我々の眼についたのは、彼の茫然《ぼうぜん》として洋机《テーブル》の上に頬杖《ほおづえ》を突いている時であった。
 彼は一心に何か考えているらしかった。彼は学者でかつ思索家であるから、黙って考えるのは当然の事のようにも思われたが、扉を開けてその様子を見た者は、いかにも寒い気がすると云って、用を済ますのを待ち兼ねて外へ出た。最も関係の深い母ですら、書斎へ行くのをあまりありがたいとは思っていなかったらしい。
「二郎、学者ってものは皆《みん》なあんな偏屈《へんくつ》なものかね」
 この問を聞いた時、自分は学者でないのを不思議な幸福のように感じた。それでただえへへと笑っていた。すると母は真面目《まじめ》な顔をして、「二郎、御前がいなくなると、宅《うち》は淋《さむ》しい上にも淋しくなるが、早く好い御嫁さんでも貰って別になる工面《くめん》を御為《おし》よ」と云った。自分には母の言葉の裏に、自分さえ新しい家庭を作って独立すれば、兄の機嫌《きげん》が少しはよくなるだろうという意味が明らさまに読まれた。自分は今でも兄がそんな妙な事を考えているのだろうかと疑《うたぐ》っても見た。しかし自分もすでに一家を成してしかるべき年輩だし、また小さい一軒の竈《かまど》ぐらいは、現在の収入でどうかこうか維持して行かれる地位なのだから、かねてから、そういう考えはちらちらと無頓着《むとんじゃく》な自分の頭をさえ横切ったのである。
 自分は母に対して、「ええ外へ出る事なんか訳はありません。明日《あした》からでも出ろとおっしゃれば出ます。しかし嫁の方はそうちんころ[#「ちんころ」に傍点]のように、何でも構わないから、ただ路に落ちてさえいれば拾って来るというような遣口《やりくち》じゃ僕には不向《ふむき》ですから」と云った。その時母は、「そりゃ無論……」と答えようとするのを自分はわざと遮《さえぎ》った。
「御母さんの前ですが、兄さんと姉さんの間ですね。あれにはいろいろ複雑な事情もあり、また僕が固《もと》から少し姉さんと知り合だったので、御母さんにも御心配をかけてすまないようですけれども、大根《おおね》をいうとね。兄さんが学問以外の事に時間を費《ついや》すのが惜《おし》いんで、万事|人任《ひとまか》せにしておいて、何事にも手を出さずに華族然と澄ましていたのが悪いんですよ。いくら研究の時間が大切だって、学校の講義が大事だって、一生同じ所で同じ生活をしなくっちゃならない吾《わ》が妻じゃありませんか。兄さんに云わしたらまた学者相応の意見もありましょうけれども学者以下の我々にはとてもあんな真似はできませんからね」
 自分がこんな下らない理窟《りくつ》を云い募《つの》っているうちに、母の眼にはいつの間にか涙らしい光の影が、だんだん溜《たま》って来たので、自分は驚いてやめてしまった。
 自分は面《つら》の皮が厚いというのか、遠慮がなさ過ぎると云うのか、それほど宅《うち》のものが気兼《きがね》をして、云わば敬して遠ざけているような兄の書斎の扉《ドア》を他《ひと》よりもしばしば叩《たた》いて話をした。中へ這入《はい》った当分の感じは、さすがの自分にも少し応《こた》えた。けれども十分ぐらい経《た》つと彼はまるで別人のように快活になった。自分は苦《にが》い兄の心機をこう一転させる自分の手際《てぎわ》に重きをおいて、あたかも己《おの》れの虚栄心を満足させるための手段らしい態度をもって、わざわざ彼の書斎へ出入《でいり》した事さえあった。自白すると、突然兄から捕《つら》まって危く死地に陥《おとしい》れられそうになったのも、実はこういう得意の瞬間であった。

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