2008年11月11日火曜日

二十七

 自分は二日前に天下茶屋《てんがちゃや》のお兼さんから不意の訪問を受けた。その結果としてこの間岡田が電話口で自分に話しかけた言葉の意味をようやく知った。だから自分はこの時すでに一週間内に自分を驚かして見せるといった彼の予言のために縛《しば》られていた。三沢の病気、美しい看護婦の顔、声も姿も見えない若い芸者と、その人の一時折合っている蒲団《ふとん》の上の狭い生活、――自分は単にそれらばかりで大阪にぐずついているのではなかった。詩人の好きな言語を借りて云えば、ある予言の実現を期待しつつ暑い宿屋に泊っていたのである。
「僕にはそういう事情があるんだから、もう少しここに待っていなければならないのだ」と自分はおとなしく三沢に答えた。すると三沢は多少残念そうな顔をした。
「じゃいっしょに海辺《かいへん》へ行って静養する訳にも行かないな」
 三沢は変な男であった。こっちが大事がってやる間は、向うでいつでも跳《は》ね返すし、こっちが退《の》こうとすると、急にまた他《ひと》の袂《たもと》を捕《つら》まえて放さないし、と云った風に気分の出入《でいり》が著《いちじ》るしく眼に立った。彼と自分との交際は従来いつでもこういう消長を繰返しつつ今日《こんにち》に至ったのである。
「海岸へいっしょに行くつもりででもあったのか」と自分は念を押して見た。
「無いでもなかった」と彼は遠くの海岸を眼の中に思い浮かべるような風をして答えた。この時の彼の眼には、実際「あの女」も「あの女」の看護婦もなく、ただ自分という友達があるだけのように見えた。
 自分はその日快よく三沢に別れて宿へ帰った。しかし帰り路に、その快よく別れる前の不愉快さも考えた。自分は彼に病院を出ろと勧めた、彼は自分にいつまで大阪にいるのだと尋ねた。上部《うわべ》にあらわれた言葉のやりとりはただこれだけに過ぎなかった。しかし三沢も自分もそこに変な苦《にが》い意味を味わった。
 自分の「あの女」に対する興味は衰えたけれども自分はどうしても三沢と「あの女」とをそう懇意にしたくなかった。三沢もまた、あの美しい看護婦をどうする了簡《りょうけん》もない癖に、自分だけがだんだん彼女《かのじょ》に近づいて行くのを見て、平気でいる訳には行かなかった。そこに自分達の心づかない暗闘があった。そこに持って生れた人間のわがままと嫉妬《しっと》があった。そこに調和にも衝突にも発展し得ない、中心を欠いた興味があった。要するにそこには性《せい》の争いがあったのである。そうして両方共それを露骨に云う事ができなかったのである。
 自分は歩きながら自分の卑怯《ひきょう》を恥じた。同時に三沢の卑怯を悪《にく》んだ。けれどもあさましい人間である以上、これから先何年|交際《まじわり》を重ねても、この卑怯を抜く事はとうていできないんだという自覚があった。自分はその時非常に心細くなった。かつ悲しくなった。
 自分はその明日《あした》病院へ行って三沢の顔を見るや否や、「もう退院は勧めない」と断った。自分は手を突いて彼の前に自分の罪を詫《わ》びる心持でこう云ったのである。すると三沢は「いや僕もそうぐずぐずしてはいられない。君の忠告に従っていよいよ出る事にした」と答えた。彼は今朝院長から退院の許可を得た旨《むね》を話して、「あまり動くと悪いそうだから寝台で東京まで直行する事にした」と告げた。自分はその突然なのに驚いた。

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