2008年11月6日木曜日

十二

 奥には例の客が二人|床《とこ》の前に坐《すわ》っていた。二人とも品の好い容貌《ようぼう》の人で、その薄く禿げかかった頭が後《うしろ》にかかっている探幽《たんゆう》の三幅対《さんぷくつい》とよく調和した。
 彼らは二人とも袴《はかま》のまま、羽織を脱ぎ放しにしていた。三人のうちで袴を着けていなかったのは父ばかりであったが、その父でさえ羽織だけは遠慮していた。
 自分は見知り合だから正面の客に挨拶《あいさつ》かたがた、「どうか拝聴を……」と頭を下げた。客はちょっと恐縮の体《てい》を装《よそお》って、「いやどうも……」と頭を掻《か》く真似をした。父は自分にまたお重の事を尋ねたので、「先刻《さっき》から少し頭痛がするそうで、御挨拶《ごあいさつ》に出られないのを残念がっていました」と答えた。父は客の方を見ながら、「お重が心持が悪いなんて、まるで鬼の霍乱《かくらん》だな」と云って、今度は自分に、「先刻|綱《つな》(母の名)の話では腹が痛いように聞いたがそうじゃない頭痛なのかい」と聞き直した。自分はしまったと思ったが「多分両方なんでしょう。胃腸の熱で頭が痛む事もあるようだから。しかし心配するほどの病気じゃないようです。じき癒《なお》るでしょう」と答えた。客は蒼蠅《うるさ》いほどお重に同情の言葉を注射した後《あと》、「じゃ残念だが始めましょうか」と云い出した。
 聴手《ききて》には、自分より前に兄夫婦が横向になって、行儀よく併《なら》んで坐《すわ》っていたので、自分は鹿爪《しかつめ》らしく嫂《あによめ》の次に席を取った。「何をやるんです」と坐りながら聞いたら、この道について何の素養も趣味もない嫂は、「何でも景清《かげきよ》だそうです」と答えて、それぎり何とも云わなかった。
 客のうちで赭顔《あからがお》の恰腹《かっぷく》の好い男が仕手《して》をやる事になって、その隣の貴族院議員が脇《わき》、父は主人役で「娘」と「男」を端役《はやく》だと云う訳か二つ引き受けた。多少謡を聞分ける耳を持っていた自分は、最初からどんな景清ができるかと心配した。兄は何を考えているのか、はなはだ要領を得ない顔をして、凋落《ちょうらく》しかかった前世紀の肉声を夢のように聞いていた。嫂の鼓膜《こまく》には肝腎《かんじん》の「松門《しょうもん》」さえ人間としてよりもむしろ獣類の吠《うなり》として不快に響いたらしい。自分はかねてからこの「景清」という謡《うたい》に興味を持っていた。何だか勇ましいような惨《いた》ましいような一種の気分が、盲目《もうもく》の景清の強い言葉遣《ことばづかい》から、また遥々《はるばる》父を尋ねに日向《ひゅうが》まで下《くだ》る娘の態度から、涙に化して自分の眼を輝かせた場合が、一二度あった。
 しかしそれは歴乎《れっき》とした謡手が本気に各自の役を引き受けた場合で、今聞かせられているような胡麻節《ごまぶし》を辿《たど》ってようやく出来上る景清に対してはほとんど同情が起らなかった。
 やがて景清の戦物語《いくさものがたり》も済んで一番の謡も滞《とどこお》りなく結末まで来た。自分はその成蹟《せいせき》を何と評して好いか解らないので、少し不安になった。嫂は平生の寡言《かごん》にも似ず「勇しいものですね」と云った。自分も「そうですね」と答えておいた。すると多分一口も開くまいと思った兄が、急に赭顔の客に向って、「さすがに我も平家なり物語り申してとか、始めてとかいう句がありましたが、あのさすがに我も平家なりという言葉が大変面白うございました」と云った。
 兄は元来正直な男で、かつ己《おの》れの教育上|嘘《うそ》を吐《つ》かないのを、品性の一部分と心得ているくらいの男だから、この批評に疑う余地は少しもなかった。けれども不幸にして彼の批評は謡の上手下手でなくって、文章の巧拙に属する話だから、相手にはほとんど手応《てごたえ》がなかった。
 こう云う場合に馴《な》れた父は「いやあすこは非常に面白く拝聴した」と客の謡《うた》いぶりを一応|賞《ほ》めた後《あと》で、「実はあれについて思い出したが、大変興味のある話がある。ちょうどあの文句を世話に崩《くず》して、景清を女にしたようなものだから、謡よりはよほど艶《えん》である。しかも事実でね」と云い出した。

0 件のコメント: