2008年11月11日火曜日

十六

 その間自分は三沢の付添のように、昼も晩も大抵は病院で暮した。孤独な彼は実際毎日自分を待受けているらしかった。それでいて顔を合わすと、けっして礼などは云わなかった。わざわざ草花を買って持って行ってやっても、憤《むっ》と膨《ふく》れている事さえあった。自分は枕元で書物を読んだり、看護婦を相手にしたり、時間が来ると病人に薬を呑《の》ませたりした。朝日が強く差し込む室《へや》なので、看護婦を相手に、寝床《ねどこ》を影の方へ移す手伝もさせられた。
 自分はこうしているうちに、毎日午前中に回診する院長を知るようになった。院長は大概黒のモーニングを着て医員と看護婦を一人ずつ随えていた。色の浅黒い鼻筋の通った立派な男で、言葉遣《ことばづか》いや態度にも容貌《ようぼう》の示すごとく品格があった。三沢は院長に会うと、医学上の知識をまるでもっていない自分たちと同じような質問をしていた。「まだ容易に旅行などはできないでしょうか」「潰瘍《かいよう》になると危険でしょうか」「こうやって思い切って入院した方が、今考えて見るとやっぱり得策だったんでしょうか」などと聞くたびに院長は「ええまあそうです」ぐらいな単簡《たんかん》な返答をした。自分は平生解らない術語を使って、他《ひと》を馬鹿にする彼が、院長の前でこう小さくなるのを滑稽《こっけい》に思った。
 彼の病気は軽いような重いような変なものであった。宅《うち》へ知らせる事は当人が絶対に不承知であった。院長に聞いて見ると、嘔気《はきけ》が来なければ心配するほどの事もあるまいが、それにしてももう少しは食慾が出るはずだと云って、不思議そうに考え込んでいた。自分は去就《きょしゅう》に迷った。
 自分が始めて彼の膳《ぜん》を見たときその上には、生豆腐《なまどうふ》と海苔《のり》と鰹節《かつぶし》の肉汁《ソップ》が載《の》っていた。彼はこれより以上|箸《はし》を着ける事を許されなかったのである。自分はこれでは前途遼遠《ぜんとりょうえん》だと思った。同時にその膳に向って薄い粥《かゆ》を啜《すす》る彼の姿が変に痛ましく見えた。自分が席を外《はず》して、つい近所の洋食屋へ行って支度《したく》をして帰って来ると、彼はきっと「旨《うま》かったか」と聞いた。自分はその顔を見てますます気の毒になった。
「あの家《うち》はこの間君と喧嘩《けんか》した氷菓子《アイスクリーム》を持って来る家だ」
 三沢はこういって笑っていた。自分は彼がもう少し健康を回復するまで彼の傍《そば》にいてやりたい気がした。
 しかし宿へ帰ると、暑苦しい蚊帳《かや》の中で、早く涼しい田舎《いなか》へ行きたいと思うことが多かった。この間の晩女と話をして人の眠を妨《さまた》げた隣の客はまだ泊っていた。そうして自分の寝ようとする頃に必ず酒気《しゅき》を帯びて帰って来た。ある時は宿で酒を飲んで、芸者を呼べと怒鳴《どな》っていた。それを下女がさまざまにごまかそうとしてしまいには、あの女はあなたの前へ出ればこそ、あんな愛嬌《あいきょう》をいうものの、蔭《かげ》ではあなたの悪口ばかり並べるんだから止《や》めろと忠告していた。すると客は、なにおれの前へ出た時だけ御世辞《おせじ》を云ってくれりゃそれで嬉《うれ》しいんだ、蔭で何と云ったって聞えないから構わないと答えていた。ある時はこれも芸者が何か真面目《まじめ》な話を持ち込んで来たのを、今度は客の方でごまかそうとして、その芸者から他《ひと》の話を「じゃん、じゃか、じゃん」にしてしまうと云って怒られていた。
 自分はこんな事で安眠を妨害されて、実際迷惑を感じた。

0 件のコメント: