2008年11月11日火曜日

二十二

「あの女」は室《へや》の前を通っても廊下からは顔の見えない位置に寝ていた。看護婦は入口の柱の傍《そば》へ寄って覗《のぞ》き込むようにすれば見えると云って自分に教えてくれたけれども自分にはそれをあえてするほどの勇気がなかった。
 附添の看護婦は暑いせいか大概はその柱にもたれて外の方ばかり見ていた。それがまた看護婦としては特別|器量《きりょう》が好いので、三沢は時々不平な顔をして人を馬鹿にしているなどと云った。彼の看護婦はまた別の意味からして、この美しい看護婦を好く云わなかった。病人の世話をそっちのけにするとか、不親切だとか、京都に男があって、その男から手紙が来たんで夢中なんだとか、いろいろの事を探って来ては三沢や自分に報告した。ある時は病人の便器を差し込んだなり、引き出すのを忘れてそのまま寝込んでしまった怠慢《たいまん》さえあったと告げた。
 実際この美しい看護婦が器量の優《すぐ》れている割合に義務を重んじなかった事は自分達の眼にもよく映った。
「ありゃ取り換えてやらなくっちゃ、あの女が可哀《かわい》そうだね」と三沢は時々|苦《にが》い顔をした。それでもその看護婦が入口の柱にもたれて、うとうとしていると、彼はわが室《へや》の中《うち》からその横顔をじっと見つめている事があった。
「あの女」の病勢もこっちの看護婦の口からよく洩《も》れた。――牛乳でも肉汁《ソップ》でも、どんな軽い液体でも狂った胃がけっして受けつけない。肝心《かんじん》の薬さえ厭《いや》がって飲まない。強いて飲ませると、すぐ戻してしまう。
「血は吐くかい」
 三沢はいつでもこう云って看護婦に反問した。自分はその言葉を聞くたびに不愉快な刺戟《しげき》を受けた。
「あの女」の見舞客は絶えずあった。けれども外《ほか》の室《へや》のように賑《にぎや》かな話し声はまるで聞こえなかった。自分は三沢の室に寝ころんで、「あの女」の室を出たり入ったりする島田や銀杏返《いちょうがえ》しの影をいくつとなく見た。中には眼の覚《さ》めるように派出《はで》な模様の着物を着ているものもあったが、大抵は素人《しろうと》に近い地味《じみ》な服装《なり》で、こっそり来てこっそり出て行くのが多かった。入口であら姐《ねえ》はんという感投詞《かんとうし》を用いたものもあったが、それはただの一遍に過ぎなかった。それも廊下の端《はじ》に洋傘《こうもり》を置いて室の中へ入るや否や急に消えたように静かになった。
「君はあの女を見舞ってやったのか」と自分は三沢に聞いた。
「いいや」と彼は答えた。「しかし見舞ってやる以上の心配をしてやっている」
「じゃ向うでもまだ知らないんだね。君のここにいる事は」
「知らないはずだ、看護婦でも云わない以上は。あの女の入院するとき僕はあの女の顔を見てはっと思ったが、向うでは僕の方を見なかったから、多分知るまい」
 三沢は病院の二階に「あの女」の馴染客《なじみきゃく》があって、それが「お前胃のため、わしゃ腸のため、共に苦しむ酒のため」という都々逸《どどいつ》を紙片《かみぎれ》へ書いて、あの女の所へ届けた上、出院のとき袴《はかま》羽織《はおり》でわざわざ見舞に来た話をして、何という馬鹿だという顔つきをした。
「静かにして、刺戟《しげき》のないようにしてやらなくっちゃいけない。室でもそっと入って、そっと出てやるのが当り前だ」と彼は云った。
「ずいぶん静じゃないか」と自分は云った。
「病人が口を利《き》くのを厭《いや》がるからさ。悪い証拠《しょうこ》だ」と彼がまた云った。

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