2008年11月10日月曜日

 岡田はその夜《よ》だいぶ酒を呑んだ。彼は是非都合して和歌の浦までいっしょに行くつもりでいたが、あいにく同僚が病気で欠勤しているので、予期の通りにならないのがはなはだ残念だと云ってしきりに母や兄に詫《わ》びていた。
「じゃ今夜が御別れだから、少し御過《おす》ごしなさい」と母が勧めた。
 あいにく自分の家族は酒に親しみの薄いものばかりで、誰も彼の相手にはなれなかった。それで皆《みん》な御免蒙《ごめんこうむ》って岡田より先へ食事を済ました。岡田はそれがこっちも勝手だといった風に、独《ひと》り膳《ぜん》を控えて盃《さかずき》を甜《な》め続けた。
 彼は性来《しょうらい》元気な男であった。その上酒を呑むとますます陽気になる好い癖を持っていた。そうして相手が聞こうが聞くまいが、頓着《とんじゃく》なしに好きな事を喋舌《しゃべ》って、時々一人高笑いをした。
 彼は大阪の富が過去二十年間にどのくらい殖《ふ》えて、これから十年立つとまたその富が今の何十倍になるというような統計を挙《あ》げておおいに満足らしく見えた。
「大阪の富より君自身の富はどうだい」と兄が皮肉を云ったとき、岡田は禿《は》げかかった頭へ手を載《の》せて笑い出した。
「しかし僕の今日《こんにち》あるも――というと、偉過《えらす》ぎるが、まあどうかこうかやって行けるのも、全く叔父《おじ》さんと叔母さんのお蔭《かげ》です。僕はいくらこうして酒を呑《の》んで太平楽《たいへいらく》を並べていたって、それだけはけっして忘れやしません」
 岡田はこんな事を云って、傍《そば》にいる母と遠くにいる父に感謝の意を表した。彼は酔うと同じ言葉を何遍も繰返す癖のある男だったが、ことにこの感謝の意は少しずつ違った形式で、幾度《いくたび》か彼の口から洩《も》れた。しまいに彼は灘万《なだまん》のまな鰹《がつお》とか何とかいうものを、是非父に喰わせたいと云い募《つの》った。
 自分は彼がもと書生であった頃、ある正月の宵《よい》どこかで振舞酒《ふるまいざけ》を浴びて帰って来て、父の前へ長さ三寸ばかりの赤い蟹《かに》の足を置きながら平伏して、謹《つつし》んで北海の珍味を献上しますと云ったら、父は「何だそんな朱塗《しゅぬ》りの文鎮《ぶんちん》見たいなもの。要《い》らないから早くそっちへ持って行け」と怒った昔を思い出した。
 岡田はいつまでも飲んで帰らなかった。始めは興《きょう》を添えた彼の座談もだんだん皆《みん》なに飽きられて来た。嫂《あによめ》は団扇《うちわ》を顔へ当てて欠《あくび》を隠した。自分はとうとう彼を外へ連出さなければならなかった。自分は散歩にかこつけて五六町彼といっしょに歩いた。そうして懐《ふところ》から例の金を出して彼に返した。金を受取った時の彼は、酔っているにもかかわらず驚ろくべくたしかなものであった。「今でなくってもいいのに。しかしお兼が喜びますよ。ありがとう」と云って、洋服の内隠袋《うちがくし》へ収めた。
 通りは静であった。自分はわれ知らず空を仰いだ。空には星の光が存外《ぞんがい》濁っていた。自分は心の内に明日《あす》の天気を気遣《きづか》った。すると岡田が藪《やぶ》から棒に「一郎さんは実際むずかしやでしたね」と云い出した。そうして昔《むか》し兄と自分と将棋《しょうぎ》を指した時、自分が何か一口《ひとくち》云ったのを癪《しゃく》に、いきなり将棋の駒を自分の額へぶつけた騒ぎを、新しく自分の記憶から呼び覚《さま》した。
「あの時分からわがままだったからね、どうも。しかしこの頃はだいぶ機嫌《きげん》が好いようじゃありませんか」と彼がまた云った。自分は煮え切らない生《なま》返事をしておいた。
「もっとも奥さんができてから、もうよっぽどになりますからね。しかし奥さんの方でもずいぶん気骨《きぼね》が折れるでしょう。あれじゃ」
 自分はそれでも何の答もしなかった。ある四角《よつかど》へ来て彼と別れるときただ「お兼さんによろしく」と云ったまままた元の路へ引き返した。

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