2008年11月12日水曜日

十二

 三沢の便《たよ》りははたして次の日の午後になっても来なかった。気の短い自分にはこんなズボラを待ってやるのが腹立《はらだた》しく感ぜられた、強《し》いてもこれから一人で立とうと決心した。
「まあもう一日《いちんち》二日《ふつか》はよろしいじゃございませんか」とお兼さんは愛嬌《あいきょう》に云ってくれた。自分が鞄《かばん》の中へ浴衣《ゆかた》や三尺帯《さんじゃくおび》を詰めに二階へ上《あが》りかける下から、「是非そうなさいましよ」とおっかけるように留めた。それでも気がすまなかったと見えて、自分が鞄の始末をした頃、上《あが》り口《ぐち》へ顔を出して、「おやもう御荷物の仕度をなすったんですか。じゃ御茶でも入れますから、御緩《ごゆっ》くりどうぞ」と降りて行った。
 自分は胡坐《あぐら》のまま旅行案内をひろげた。そうして胸の中《うち》でかれこれと時間の都合を考えた。その都合がなかなか旨《うま》く行かないので、仰向《あおむけ》になってしばらく寝て見た。すると三沢といっしょに歩く時の愉快がいろいろに想像された。富士を須走口《すばしりぐち》へ降りる時、滑《すべ》って転んで、腰にぶら下げた大きな金明水《きんめいすい》入の硝子壜《ガラスびん》を、壊《こわ》したなり帯へ括《くく》りつけて歩いた彼の姿扮《すがた》などが眼に浮んだ。ところへまた梯子段《はしごだん》を踏むお兼さんの足音がしたので、自分は急に起き直った。
 お兼さんは立ちながら、「まあ好かった」と一息|吐《つ》いたように云って、すぐ自分の前に坐《すわ》った。そうして三沢から今届いた手紙を自分に渡した。自分はすぐ封を開いて見た。
「とうとう御着《おつき》になりましたか」
 自分はちょっとお兼さんに答える勇気を失った。三沢は三日前大阪に着いて二日ばかり寝たあげくとうとう病院に入ったのである。自分は病院の名を指《さ》してお兼さんに地理を聞いた。お兼さんは地理だけはよく呑《の》み込んでいたが、病院の名は知らなかった。自分はとにかく鞄《かばん》を提《さ》げて岡田の家を出る事にした。
「どうもとんだ事でございますね」とお兼さんは繰り返し繰り返し気の毒がった。断《ことわ》るのを無理に、下女が鞄を持って停車場《ステーション》まで随《つ》いて来た。自分は途中でなおもこの下女を返そうとしたが、何とか云ってなかなか帰らなかった。その言葉は解るには解るが、自分のようにこの土地に親しみのないものにはとても覚えられなかった。別れるとき今まで世話になった礼に一円やったら「さいなら、お機嫌《きげん》よう」と云った。
 電車を下りて俥《くるま》に乗ると、その俥は軌道《レール》を横切って細い通りを真直《まっすぐ》に馳《か》けた。馳け方があまり烈《はげ》しいので、向うから来る自転車だの俥だのと幾度《いくたび》か衝突しそうにした。自分ははらはらしながら病院の前に降《お》ろされた。
 鞄を持ったまま三階に上《あが》った自分は、三沢を探すため方々の室《へや》を覗《のぞ》いて歩いた。三沢は廊下の突き当りの八畳に、氷嚢《ひょうのう》を胸の上に載《の》せて寝ていた。
「どうした」と自分は室に入るや否や聞いた。彼は何も答えずに苦笑している。「また食い過ぎたんだろう」と自分は叱るように云ったなり、枕元に胡坐《あぐら》をかいて上着《うわぎ》を脱いだ。
「そこに蒲団《ふとん》がある」と三沢は上眼《うわめ》を使って、室の隅《すみ》を指した。自分はその眼の様子と頬の具合を見て、これはどのくらい重い程度の病気なんだろうと疑った。
「看護婦はついてるのかい」
「うん。今どこかへ出て行った」

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