2008年11月11日火曜日

十七

 そんなこんなで好く眠られなかった朝、もう看病は御免蒙《ごめんこうむ》るという気で、病院の方へ橋を渡った。すると病人はまだすやすや眠っていた。
 三階の窓から見下《みおろ》すと、狭い通なので、門前の路《みち》が細く綺麗《きれい》に見えた。向側は立派な高塀《たかべい》つづきで、その一つの潜《くぐ》りの外へ主人《あるじ》らしい人が出て、如露《じょうろ》で丹念《たんねん》に往来を濡《ぬ》らしていた。塀の内には夏蜜柑《なつみかん》のような深緑の葉が瓦《かわら》を隠すほど茂っていた。
 院内では小使が丁字形《ていじけい》の棒の先へ雑巾《ぞうきん》を括《くく》り付けて廊下をぐんぐん押して歩いた。雑巾をゆすがないので、せっかく拭いた所がかえって白く汚れた。軽い患者はみな洗面所へ出て顔を洗った。看護婦の払塵《はたき》の声がここかしこで聞こえた。自分は枕《まくら》を借りて、三沢の隣の空室《あきべや》へ、昨夕《ゆうべ》の睡眠不足を補いに入った。
 その室《へや》も朝日の強く当る向《むき》にあるので、一寝入するとすぐ眼が覚《さ》めた。額や鼻の頭に汗と油が一面に浮き出しているのも不愉快だった。自分はその時岡田から電話口へ呼ばれた。岡田が病院へ電話をかけたのはこれで三度目である。彼はきまりきって、「御病人の御様子はどうです」と聞く。「二三日|中《うち》是非伺います」という。「何でも御用があるなら御遠慮なく」という。最後にきっとお兼さんの事を一口二口つけ加えて、「お兼からもよろしく」とか、「是非お遊びにいらっしゃるように妻《さい》も申しております」とか、「うちの方が忙がしいんで、つい御無沙汰《ごぶさた》をしています」とか云う。
 その日も岡田の話はいつもの通りであった。けれども一番しまいに、「今から一週間内……と断定する訳には行かないが、とにかくもう少しすると、あなたをちょいと驚かせる事が出て来るかも知れませんよ」と妙な事を仄《ほの》めかした。自分は全く想像がつかないので、全体どんな話なんですかと二三度聞き返したが、岡田は笑いながら、「もう少しすれば解ります」というぎりなので、自分もとうとうその意味を聞かないで、三沢の室《へや》へ帰って来た。
「また例の男かい」と三沢が云った。
 自分は今の岡田の電話が気になって、すぐ大阪を立つ話を持ち出す心持になれなかった。すると思いがけない三沢の方から「君もう大阪は厭《いや》になったろう。僕のためにいて貰う必要はないから、どこかへ行くなら遠慮なく行ってくれ」と云い出した。彼はたとい病院を出る場合が来ても、むやみな山登りなどは当分慎まなければならないと覚《さと》ったと説明して聞かせた。
「それじゃ僕の都合の好いようにしよう」
 自分はこう答えてしばらく黙っていた。看護婦は無言のまま室の外に出て行った。自分はその草履《ぞうり》の音の消えるのを聞いていた。それから小さい声をして三沢に、「金はあるか」と尋ねた。彼は己《おの》れの病気をまだ己れの家に知らせないでいる。それにたった一人の知人たる自分が、彼の傍《そば》を立ち退《の》いたら、精神上よりも物質的に心細かろうと自分は懸念《けねん》した。
「君に才覚ができるのかい」と三沢は聞いた。
「別に目的《あて》もないが」と自分は答えた。
「例の男はどうだい」と三沢が云った。
「岡田か」と自分は少し考え込んだ。
 三沢は急に笑い出した。
「何いざとなればどうかなるよ。君に算段して貰わなくっても。金はあるにはあるんだから」と云った。

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