2008年11月6日木曜日

二十一

 その折自分は何を話ていたか今たしかに覚えていない。何でも兄から玉突《たまつき》の歴史を聞いた上、ルイ十四世頃の銅版の玉突台をわざわざ見せられたような気がする。
 兄の室《へや》へ這入っては、こんな問題を種に、彼の新しく得た知識を、はいはい聞いているのが一番安全であった。もっとも自分も御饒舌《おしゃべり》だから、兄と違った方面で、ルネサンスとかゴシックとかいう言葉を心得顔にふり廻す事も多かった。しかしたいていは世間離れのしたこう云う談話だけで書斎を出るのが例であったが、その折は何かの拍子《ひょうし》で兄の得意とする遺伝とか進化とかについての学説が、銅版の後で出て来た。自分は多分云う事がないため、黙って聞いていたものと見える。その時兄が「二郎お前はお父さんの子だね」と突然云った。自分はそれがどうしたと云わぬばかりの顔をして、「そうです」と答えた。
「おれはお前だから話すが、実はうちのお父さんには、一種妙におっちょこちょい[#「おっちょこちょい」に傍点]のところがあるじゃないか」
 兄から父を評すれば正にそうであるという事を自分は以前から呑込《のみこ》んでいた。けれども兄に対してこの場合何と挨拶《あいさつ》すべきものか自分には解らなかった。
「そりゃあなたのいう遺伝とか性質とかいうものじゃおそらくないでしょう。今の日本の社会があれでなくっちゃ、通させないから、やむをえないのじゃないですか。世の中にゃお父さんどころかまだまだたまらないおっちょこ[#「おっちょこ」に傍点]がありますよ。兄さんは書斎と学校で高尚に日を暮しているから解らないかも知れないけれども」
「そりゃおれも知ってる。お前の云う通りだ。今の日本の社会は――ことによったら西洋もそうかも知れないけれども――皆《みん》な上滑《うわすべ》りの御上手ものだけが存在し得るように出来上がっているんだから仕方がない」
 兄はこう云ってしばらく沈黙の裡《うち》に頭を埋《うず》めていた。それから怠《だる》そうな眼を上げた。
「しかし二郎、お父さんのは、お気の毒だけれども、持って生れた性質なんだよ。どんな社会に生きていても、ああよりほかに存在の仕方はお父さんに取ってむずかしいんだね」
 自分はこの学問をして、高尚になり、かつ迂濶《うかつ》になり過ぎた兄が、家中《うちじゅう》から変人扱いにされるのみならず、親身の親からさえも、日に日に離れて行くのを眼前に見て、思わず顔を下げて自分の膝頭《ひざがしら》を見つめた。
「二郎お前もやっぱりお父さん流だよ。少しも摯実《しじつ》の気質がない」と兄が云った。
 自分は癇癪《かんしゃく》の不意に起る野蛮な気質を兄と同様に持っていたが、この場合兄の言葉を聞いたとき、毫《ごう》も憤怒の念が萌《きざ》さなかった。
「そりゃひどい。僕はとにかく、お父さんまで世間の軽薄ものといっしょに見做《みな》すのは。兄さんは独《ひと》りぼっちで書斎にばかり籠《こも》っているから、それでそういう僻《ひが》んだ観察ばかりなさるんですよ」
「じゃ例を挙《あ》げて見せようか」
 兄の眼は急に光を放った。自分は思わず口を閉じた。
「この間|謡《うたい》の客のあった時に、盲女《めくらおんな》の話をお父さんがしたろう。あのときお父さんは何とかいう人を立派に代表して行きながら、その女が二十何年も解らずに煩悶《はんもん》していた事を、ただ一口にごまかしている。おれはあの時、その女のために腹の中で泣いた。女は知らない女だからそれほど同情は起らなかったけれども、実をいうとお父さんの軽薄なのに泣いたのだ。本当に情ないと思った。……」
「そう女みたように解釈すれば、何だって軽薄に見えるでしょうけれども……」
「そんな事を云うところが、つまりお父さんの悪いところを受け継《つ》いでいる証拠《しょうこ》になるだけさ。おれは直《なお》の事をお前に頼んで、その報告をいつまでも待っていた。ところがお前はいつまでも言葉を左右に託して、空恍《そらとぼ》けている……」

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