2008年11月6日木曜日

四十一

 母が暴風雨に怖気《おじけ》がついて、早く立とうと云うのを機《しお》に、みんなここを切上げて一刻も早く帰る事にした。
「いかな名所でも一日二日は好いが、長くなるとつまらないですね」と兄は母に同意していた。
 母は自分を小蔭《こかげ》へ呼んで、「二郎お前どうするつもりだい」と聞いた。自分は自分の留守中に兄が万事を母に打ち明けたのかと思った。しかし兄の平生から察すると、そんな行き抜けの人《ひと》となりでもなさそうであった。
「兄さんは昨夕僕らが帰らないんで、機嫌《きげん》でも悪くしているんですか」
 自分がこう質問をかけた時、母は少しの間黙っていた。
「昨夕《ゆうべ》はね、知っての通りの浪《なみ》や風だから、そんな話をする閑《ひま》も無かったけれども……」
 母はどうしてもそこまでしか云わなかった。
「お母さんは何だか僕と嫂《ねえ》さんの仲を疑ぐっていらっしゃるようだが……」と云いかけると、今まで自分の眼をじっと見ていた母は急に手を振って自分を遮《さえぎ》った。
「そんな事があるものかねお前、お母さんに限って」
 母の言葉は実際|判然《はっきり》した言葉に違なかった。顔つきも眼つきもきびきびしていた。けれども彼女の腹の中はとても読めなかった。自分は親身《しんみ》の子として、時たま本当の父や母に向いながら嘘《うそ》と知りつつ真顔で何か云い聞かされる事を覚えて以来、世の中で本式の本当を云い続けに云うものは一人もないと諦《あきら》めていた。
「兄さんには僕から万事話す事になっています。そう云う約束になってるんだから、お母さんが心配なさる必要はありません。安心していらっしゃい」
「じゃなるべく早く片づけた方が好いよ二郎」
 自分達はその明くる宵《よい》の急行で東京へ帰る事にきめていた。実はまだ大阪を中心として、見物かたがた歩くべき場所はたくさんあったけれども、母の気が進まず、兄の興味が乗らず、大阪で中継《なかつぎ》をする時間さえ惜んで、すぐ東京まで寝台で通そうと云うのが母と兄の主張であった。
 自分達は是非共|翌日《あした》の朝の汽車で和歌山から大阪へ向けて立たなければならなかった。自分は母の命令で岡田の宅《うち》まで電報を打った。
「佐野さんへはかける必要もないでしょう」と云いながら自分は母と兄の顔を眺めた。
「あるまい」と兄が答えた。
「岡田へさえ打っておけば、佐野さんはうっちゃっておいてもきっと送りに来てくれるよ」
 自分は電報紙を持ちながら、是非共お貞《さだ》さんを貰いたいという佐野のお凸額《でこ》とその金縁眼鏡《きんぶちめがね》を思い出した。
「ではあのお凸額さんは止《や》めておこう」
 自分はこう云って、みんなを笑わせた。自分がとうから佐野の御凸額を気にしていたごとく、ほかのものも同じ人の同じ特色を注意していたらしかった。
「写真で見たより御凸額ね」と嫂《あによめ》は真面目《まじめ》な顔で云った。
 自分は冗談のうちに自分を紛《まぎら》しつつ、どんな折を利用して嫂の事を兄に復命したものだろうかと考えていた。それで時々|偸《ぬす》むようにまた先方の気のつかないように兄の様子を見た。ところが兄は自分の予期に反して、全くそれには無頓着《むとんじゃく》のように思われた。

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