2008年11月10日月曜日

十一

 停車場《ステーション》を出るとすぐそこに電車が待っていた。兄と自分は手提鞄《てさげかばん》を持ったまま婦人を扶《たす》けて急いでそれに乗り込んだ。
 電車は自分達四人が一度に這入《はい》っただけで、なかなか動き出さなかった。
「閑静な電車ですね」と自分が侮《あな》どるように云った。
「これなら妾達《わたしたち》の荷物を乗っけてもよさそうだね」と母は停車場の方を顧《かえり》みた。
 ところへ書物を持った書生体《しょせいてい》の男だの、扇を使う商人風の男だのが二三人前後して車台に上《のぼ》ってばらばらに腰をかけ始めたので、運転手はついに把手《ハンドル》を動かし出した。
 自分達は何だか市の外廓《がいかく》らしい淋《さむ》しい土塀《どべい》つづきの狭い町を曲って、二三度停留所を通り越した後《のち》、高い石垣の下にある濠《ほり》を見た。濠の中には蓮《はす》が一面に青い葉を浮べていた。その青い葉の中に、点々と咲く紅《くれない》の花が、落ちつかない自分達の眼をちらちらさせた。
「へえーこれが昔のお城かね」と母は感心していた。母の叔母というのが、昔し紀州家の奥に勤めていたとか云うので、母は一層感慨の念が深かったのだろう。自分も子供の時、折々耳にした紀州様、紀州様という封建時代の言葉をふと思い出した。
 和歌山市を通り越して少し田舎道《いなかみち》を走ると、電車はじき和歌の浦へ着いた。抜目《ぬけめ》のない岡田はかねてから注意して土地で一流の宿屋へ室《へや》の注文をしたのだが、あいにく避暑の客が込み合って、眺《なが》めの好い座敷が塞《ふさ》がっているとかで、自分達は直《ただち》に俥《くるま》を命じて浜手の角を曲った。そうして海を真前《まんまえ》に控えた高い三階の上層の一室に入った。
 そこは南と西の開《あ》いた広い座敷だったが、普請《ふしん》は気の利《き》いた東京の下宿屋ぐらいなもので、品位からいうと大阪の旅館とはてんで比べ物にならなかった。時々|大一座《おおいちざ》でもあった時に使う二階はぶっ通しの大広間で、伽藍堂《がらんどう》のような真中《まんなか》に立って、波を打った安畳を眺《なが》めると、何となく殺風景な感が起った。
 兄はその大広間に仮の仕切として立ててあった六枚折の屏風《びょうぶ》を黙って見ていた。彼はこういうものに対して、父の薫陶《くんとう》から来た一種の鑑賞力をもっていた。その屏風には妙にべろべろした葉の竹が巧《たくみ》に描《えが》かれていた。兄は突然|後《うしろ》を向いて「おい二郎」と云った。
 その時兄と自分は下の風呂に行くつもりで二人ながら手拭《てぬぐい》をさげていた。そうして自分は彼の二間ばかり後《うしろ》に立って、屏風の竹を眺める彼をまた眺めていた。自分は兄がこの屏風の画《え》について、何かまた批評を加えるに違いないと思った。
「何です」と答えた。
「先刻《さっき》汽車の中で話しが出た、あの三沢の事だね。お前はどう思う」
 兄の質問は実際自分に取って意外であった。彼はなぜその話しを今まで自分に聞かせなかったと汽車の中で問われた時、すでに苦《にが》い顔をして必要がないからだと答えたばかりであった。
「例の接吻《キッス》の話ですか」と自分は聞き返した。
「いえ接吻じゃない。その女が三沢の出る後《あと》を慕って、早く帰って来てちょうだいと必ず云ったという方の話さ」
「僕には両方共面白いが、接吻の方が何だかより多く純粋でかつ美しい気がしますね」
 この時自分達は二階の梯子段《はしごだん》を半分ほど降りていた。兄はその中途でぴたりと留《とま》った。
「そりゃ詩的に云うのだろう。詩を見る眼で云ったら、両方共等しく面白いだろう。けれどもおれの云うのはそうじゃない。もっと実際問題にしての話だ」

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