2008年11月6日木曜日

四十二

 自分が兄から別室に呼出されたのはそれが済んでしばらくしてであった。その時兄は常に変らない様子をして、(嫂に評させると常に変らない様子を装《よそお》って、)「二郎ちょっと話がある。あっちの室《へや》へ来てくれ」と穏かに云った。自分はおとなしく「はい」と答えて立った。しかしどうした機《はずみ》か立つときに嫂《あによめ》の顔をちょっと見た。その時は何の気もつかなかったが、この平凡な所作がその後自分の胸には絶えず驕慢《きょうまん》の発現として響いた。嫂は自分と顔を合せた時、いつもの通り片靨《かたえくぼ》を見せて笑った。自分と嫂の眼を他《ひと》から見たら、どこかに得意の光を帯びていたのではあるまいか。自分は立ちながら、次の室《へや》で浴衣《ゆかた》を畳んでいた母の方をちょっと顧て、思わず立竦《たちすく》んだ。母の眼つきは先刻《さっき》からたった一人でそっと我々を観察していたとしか見えなかった。自分は母から疑惑の矢を胸に射つけられたような気分で兄のいる室へ這入《はい》った。
 その頃はちょうど旧暦の盆で、いわゆる盆波《ぼんなみ》の荒いためか、泊り客は無論、日返りの遊び客さえいつもほどは影を見せなかった。広い三階建てはしたがって空《あ》いている室の方が多かった。少しの間融通しようと思えば、いつでも自分の自由になった。
 兄は兼《かね》てから下女に命じておいたものと見えて、室には麻の蒲団《ふとん》が差し向いに二枚、華奢《きゃしゃ》な煙草盆《たばこぼん》を間に、団扇《うちわ》さえ添えて据《す》えられてあった。自分は兄の前に坐った。けれども何と云い出して然《しか》るべきだか、その手加減がちょっと解らないので、ただ黙っていた。兄も容易に口を開かなかった。しかしこんな場合になると性質上きっと兄の方から積極的に出るに違いないと踏んだ自分は、わざと巻莨《まきたばこ》を吹かしつづけた。
 自分はこの時の自分の心理状態を解剖して、今から顧みると、兄に調戯《からか》うというほどでもないが、多少彼を焦《じ》らす気味でいたのはたしかであると自白せざるを得ない。もっとも自分がなぜそれほど兄に対して大胆になり得たかは、我ながら解らない。恐らく嫂の態度が知らぬ間に自分に乗り移っていたものだろう。自分は今になって、取り返す事も償《つぐな》う事もできないこの態度を深く懺悔《ざんげ》したいと思う。
 自分が巻莨を吹かして黙っていると兄ははたして「二郎」と呼びかけた。
「お前|直《なお》の性質が解ったかい」
「解りません」
 自分は兄の問の余りに厳格なため、ついこう簡単に答えてしまった。そうしてそのあまりに形式的なのに後から気がついて、悪かったと思い返したが、もう及ばなかった。
 兄はその後《のち》一口も聞きもせず、また答えもしなかった。二人こうして黙っている間が、自分には非常な苦痛であった。今考えると兄には、なおさらの苦痛であったに違ない。
「二郎、おれはお前の兄として、ただ解りませんという冷淡な挨拶《あいさつ》を受けようとは思わなかった」
 兄はこう云った。そうしてその声は低くかつ顫《ふる》えていた。彼は母の手前、宿の手前、また自分の手前と問題の手前とを兼ねて、高くなるべきはずの咽喉《のど》を、やっとの思いで抑えているように見えた。
「お前そんな冷淡な挨拶を一口したぎりで済むものと、高《たか》を括《くく》ってるのか、子供じゃあるまいし」
「いえけっしてそんなわけじゃありません」
 これだけの返事をした時の自分は真に純良なる弟であった。

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