2008年11月5日水曜日

 座敷に這入《はい》った時、母は自分の顔を見て、「おや珍らしいね」と云っただけであった。自分はほとんど権柄《けんぺい》ずくでここへ引っ張られて来ながらも、途々《みちみち》父の情《なさけ》をありがたく感じていた。そうして暗に家に帰ってから母に会う瞬間の光景を予想していた。その予想がこの一言《いちごん》で打ち崩《くず》されたのは案外であった。父は家内の誰にも打ち合せをせずに、全く自分一人の考えで、この不心得な息子に親切を尽してくれたのである。お重は逃げた飼犬を見るような眼つきで自分を見た。「そら迷子《まいご》が帰って来た」と云った。嫂《あによめ》はただ「いらっしゃい」と平生の通り言葉寡《ことばずくな》な挨拶をした。この間の晩一人で尋ねて来た事は、まるで忘れてしまったという風に見えた。自分も人前を憚《はばか》って一口もそれに触れなかった。比較的陽気なのは父であった。彼は多少の諧謔《かいぎゃく》と誇張とを交ぜて、今日どうして自分をおびき出したかを得意らしく母やお重に話した。おびき出すという彼の言葉が自分には仰山《ぎょうさん》でかつ滑稽《こっけい》に聞えた。
「春になったから、皆《みん》なもちっと陽気にしなくっちゃいけない。この頃のように黙ってばかりいちゃ、まるで幽霊屋敷のようで、くさくさするだけだあね。桐畠《きりばたけ》でさえ立派な家《うち》が建つ時節じゃないか」
 桐畠というのは家のつい近所にある角地面《かどじめん》の名であった。そこへ住まうと何か祟《たたり》があるという昔からの言い伝えで、この間まで空地《あきち》になっていたのを、この頃になってようやく或る人が買い取って、大きな普請《ふしん》を始めたのである。父は自分の家が第二の桐畠になるのを恐れでもするように、活々《いきいき》と傍《そば》のものに話し掛けた。平生彼の居馴染《いなじ》んだ室《へや》は、奥の二間《ふたま》続きで、何か用があると、母でも兄でも、そこへ呼び出されるのが例になっていたが、その日はいつもと違って、彼は初めから居間へは這入らなかった。ただ袴《はかま》と羽織を脱《ぬ》ぎ棄《す》てたなり、そこへ坐《すわ》ったまま、長く自分達を相手に喋舌《しゃべ》っていた。
 久しく住み馴《な》れた自分の家も、こうしてたまに来て見ると、多少忘れ物でも思い出すような趣《おもむき》があった。出る時はまだ寒かった。座敷の硝子戸《ガラスど》はたいてい二重に鎖《とざ》されて、庭の苔《こけ》を残酷に地面から引き剥《はが》す霜《しも》が一面に降っていた。今はその外側の仕切《しきり》がことごとく戸袋の中《うち》に収《おさ》められてしまった。内側も左右に開かれていた。許す限り家の中と大空と続くようにしてあった。樹《き》も苔《こけ》も石も自然から直接に眼の中へ飛び込んで来た。すべてが出る時と趣を異《こと》にしていた。すべてが下宿とも趣を異にしていた。
 自分はこういう過去の記念のなかに坐って、久しぶりに父母《ふぼ》や妹や嫂といっしょに話をした。家族のうちでそこにいないものはただ兄だけであった。その兄の名は先刻《さっき》からまだ一度も誰の会話にも上《のぼ》らなかった。自分はその日彼がKさんの披露会に呼ばれたという事を聞いた。自分は彼がその招待に応じたか、上野へ出かけたか、はたして留守であるかさえ知らなかった。自分は自分の前にいる嫂《あによめ》を見て、彼女が披露の席に臨まないという事だけを確めた。
 自分は兄の名が話頭に上らないのを苦にした。同時に彼の名が出て来るのを憚《はばか》った。そうした心持でみんなの顔を見ると、無邪気な顔は一つもないように思えた。
 自分はしばらくしてお重に「お重お前の室《へや》をちょっと御見せ。綺麗《きれい》になったって威張ってたから見てやろう」と云った。彼女は「当り前よ、威張るだけの事はあるんだから行って御覧なさい」と答えた。自分は下宿をするまで朝夕《ちょうせき》寝起きをした、家中《うちじゅう》で一番|馴染《なじみ》の深い、故《もと》のわが室を覗《のぞ》きに立った。お重は果して後《あと》から随《つ》いて来た。

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