2008年11月5日水曜日

十九

 彼らは帽子とも頭巾《ずきん》とも名の付けようのない奇抜なものを被《かぶ》っていた。謡曲の富士太鼓を知っていた自分は、おおかたこれが鳥兜《とりかぶと》というものだろうと推察した。首から下も被りものと同じく現代を超越していた。彼らは錦で作った※[#「ころもへん+上」、第4水準2-88-9]※[#「ころもへん+下」、第4水準2-88-10]《かみしも》のようなものを着ていた。その※[#「ころもへん+上」、第4水準2-88-9]※[#「ころもへん+下」、第4水準2-88-10]には骨がないので肩のあたりは柔《やわら》かな線でぴたりと身体《からだ》に付いていた。袖《そで》には白の先へ幅三寸ぐらいの赤い絹が縫足《ぬいた》してあった。彼らはみな白の括《くく》り袴《ばかま》を穿《は》いていた。そうして一様《いちよう》に胡坐《あぐら》をかいた。
 三沢は膝《ひざ》の上で何か書きかけた白い紙をくちゃくちゃにした。自分はそのくちゃくちゃになった紙の塊《かたま》りを横から眺めた。彼は一言《いちごん》の説明も与えずに正面を見た。青い毛氈《もうせん》の上に左の帳《とばり》の影から現われたものは鉾《ほこ》をもっていた。これも管絃《かんげん》を奏する人と同じく錦の袖無《そでなし》を着ていた。
 三沢はいつまで経《た》っても「もう一人の女はね」の続きを云わなかった。観覧席にいるものはことごとく静粛であった。隣同志で話をするのさえ憚《はば》かられた。自分は仕方なしに催促を我慢した。三沢も空とぼけて澄ましていた。彼は自分と同じようにここへは始めて顔を出したので、少し硬くなっているらしかった。
 舞は謹慎な見物の前に、既定のプログラム通り、単調で上品な手足の運動を飽《あ》きもせずに進行させて行った。けれども彼らの服装は、題の改《あらた》まるごとに、閑雅な上代の色彩を、代る代る自分達の眼に映しつつ過ぎた。あるものは冠に桜の花を挿《さ》していた。紗《しゃ》の大きな袖《そで》の下から燃えるような五色の紋を透《す》かせていた。黄金作《こがねづくり》の太刀《たち》も佩《は》いていた。あるものは袖口《そでぐち》を括《くく》った朱色の着物の上に、唐錦《からにしき》のちゃんちゃんを膝《ひざ》のあたりまで垂らして、まるで錦に包まれた猟人《かりゅうど》のように見えた。あるものは簑《みの》に似た青い衣《きぬ》をばらばらに着て、同じ青い色の笠《かさ》を腰に下げていた。――すべてが夢のようであった。われわれの祖先が残して行った遠い記念《かたみ》の匂《にお》いがした。みんなありがたそうな顔をしてそれを観《み》ていた。三沢も自分も狐に撮《つ》ままれた気味で坐っていた。
 舞楽が一段落ついた時に、御茶を上げますと誰かが云ったので周囲の人は席を立って別室に動き始めた。そこへ先刻《さっき》三沢と約束の整ったという女の兄《あに》さんが来て、物馴《ものな》れた口調で彼と話した。彼はこういう方面に関係のある男と見えて、当日案内を受けた誰彼をよく知っていた。三沢と自分はこの人から今までそこいらにいた華族や高官や名士の名を教えて貰った。
 別室には珈琲《コーヒー》とカステラとチョコレートとサンドイッチがあった。普通の会の時のように、無作法《ぶさほう》なふるまいは見受けられなかったけれども、それでも多少込み合うので、女は坐《すわ》ったなり席を立たないのがあった。三沢と彼の知人は、菓子と珈琲を盆の上に載せて、わざわざ二人の御嬢さんの所へ持って行った。自分はチョコレートの銀紙を剥《はが》しながら、敷居の上に立って、遠くからその様子を偸《ぬす》むように眺めていた。
 三沢の細君になるべき人は御辞義《おじぎ》をして、珈琲|茶碗《ぢゃわん》だけを取ったが、菓子には手を触れなかった。いわゆる「もう一人の女」はその珈琲茶碗にさえ容易《たやす》く手を出さなかった。三沢は盆を持ったまま、引く事もできず進む事もできない態度で立っていた。女の顔が先刻《さっき》見た時よりも子供子供した苦痛の表情に充《み》ちていた。

0 件のコメント: