自分は心のうちで三沢を予期しながら四方を見渡したが彼の姿はどこにも見えなかった。もっとも見所《けんじょ》は正面のほか左右|両側面《りょうそくめん》にもあった。自分は玄関から左へ突き当って右へ折れて金屏風《きんびょうぶ》の立ててある前を通って正面席に案内されたのである。自分の前には紋付《もんつき》の女が二三人いた。後《うしろ》にはカーキー色の軍服を着けた士官が二人いた。そのほか六七人そこここに散点していた。
自分から一席置いて隣の二人連《ふたりづれ》は、舞台の正面にかかっている幕の話をしていた。それには雅楽に何の縁故《ゆかり》もなさそうに見える変な紋《もん》が、竪《たて》に何行も染め出されていた。
「あれが織田信長《おだのぶなが》の紋ですよ。信長が王室の式微《しきび》を慨《なげ》いて、あの幕を献上したというのが始まりで、それから以後は必ずあの木瓜《もっこう》の紋の付いた幕を張る事になってるんだそうです」
幕の上下は紫地《むらさきじ》に金《きん》の唐草《からくさ》の模様を置いた縁《ふち》で包んであった。
幕の前を見ると、真中に太鼓《たいこ》が据《す》えてあった。その太鼓には緑や金や赤の美しい彩色《いろどり》が施《ほどこ》されてあった。そうして薄くて丸い枠《わく》の中に入れてあった。左の端には火熨斗《ひのし》ぐらいの大きさの鐘がやはり枠の中に釣るしてあった。そのほかには琴《こと》が二面あった。琵琶《びわ》も二面あった。
楽器の前は青い毛氈《もうせん》で敷きつめられた舞をまう所になっていた。構造は能のそれのように、三方の見所からは全く切り離されていた。そうしてその途切《とぎ》れた四五尺の空間からは日も射し風も通うようにできていた。
自分が物珍らしそうにこの様子を見ているうちに、観客《けんぶつ》は一人二人と絶えず集まって来た。その中には自分がある音楽会で顔だけ覚えたNという侯爵もいた。「今日は教育会があるので来られない」と細君の事か何かを、傍《そば》にいた坊主頭の丸々と肥えた小さい人に話していた。この丸い小さな人がKという公爵である事を、自分は後《あと》で三沢から教《おす》わった。
その三沢は舞楽の始まるやっと五六分前にフロックコートでやって来て、入口の金屏風の所でしばらく観覧席を見渡しながら躊躇《ちゅうちょ》していたが、自分の顔を見つけるや否や、すぐ傍へ来て腰をかけた。
彼と前後して一人の背の高い若い男が、年頃の女を二人連れて、やはり正面席へ這入《はい》って来た。男はフロックコートを着ていた。女は無論紋付であった。その男と伴《つれ》の女の一人が顔立から云ってよく似ているので、自分はすぐ彼らの兄妹である事を覚《さと》った。彼らは人の頭を五六列越して、三沢と挨拶《あいさつ》を交換した。男の顔にはできるだけの愛嬌《あいきょう》が湛《たた》えられた。女は心持顔を赤くした。三沢はわざわざ腰を浮かして起立した。婦人はたいてい前の方に席を占めるので、彼らはついに自分達の傍《そば》へは来なかった。
「あれが僕の妻《さい》になるべき人だ」と三沢は小声で自分に告げた。自分は腹の中で、あの夢のような大きな黒い眼の所有者であった精神病のお嬢さんと、自分の二三間前に今席を取った色沢《いろつや》の好いお嬢さんとを比較した。彼女は自分にただ黒い髪と白い襟足《えりあし》とを見せて坐っていた。それも人の影に遮《さえぎ》られて自由には見られなかった。
「もう一人の女ね」と三沢がまた小声で云いかけた。それから彼は突然ポッケットへ手を入れて、白い紙片《かみきれ》と万年筆を取り出した。彼はすぐそれへ何か書き始めた。正面の舞台にはもう楽人《がくじん》が現われた。
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