2008年11月5日水曜日

三十八

 私が兄さんにマラルメの話をしたのは修善寺《しゅぜんじ》を立って小田原へ来た晩の事です。専門の違うあなただから、あるいは失礼にもなるまいと思って書き添えますが、マラルメと云うのは有名な仏蘭西《フランス》の詩人の名前です。こういう私も実はその名前だけしか知らないのです。だから話と云ったところで作物《さくぶつ》の批評などではありません。東京を立つ前に、取りつけの外国雑誌の封を切って、ちょっと眼を通したら、そのうちにこの詩人の逸話があったのを、面白いと思って覚えていたので、私はついそれを挙げて、兄さんの反省を促《うなが》して見たくなったのです。
 このマラルメと云う人にも多くの若い崇拝者がありました。その人達はよく彼の家に集まって、彼の談話に耳を傾ける宵《よい》を更《ふか》したのですが、いかに多くの人が押しかけても、彼の坐《すわ》るべき場所は必ず暖炉《だんろ》の傍《そば》で、彼の腰をおろすのは必ず一箇の揺椅《ゆりいす》ときまっていました。これは長い習慣で定《さだ》められた規則のように、誰も犯すものがなかったという事です。ところがある晩新しい客が来ました。たしか英吉利《イギリス》のシモンズだったという話ですが、その客は今日《こんにち》までの習慣をまるで知らないので、どの席もどの椅子《いす》も同じ価《あたい》と心得たのでしょう、当然マラルメの坐るべきかの特別の椅子へ腰をかけてしまいました。マラルメは不安になりました。いつものように話に実《み》が入りませんでした。一座は白けました。
「何という窮屈な事だろう」
 私はマラルメの話をした後《あと》で、こういう一句の断案を下しました。そうして兄さんに向って、「君の窮屈な程度はマラルメよりも烈《はげ》しい」と云いました。
 兄さんは鋭敏な人です。美的にも倫理的にも、智的にも鋭敏過ぎて、つまり自分を苦しめに生れて来たような結果に陥《おちい》っています。兄さんには甲でも乙でも構わないという鈍《どん》なところがありません。必ず甲か乙かのどっちかでなくては承知できないのです。しかもその甲なら甲の形なり程度なり色合《いろあい》なりが、ぴたりと兄さんの思う坪に嵌《はま》らなければ肯《うけ》がわないのです。兄さんは自分が鋭敏なだけに、自分のこうと思った針金のように際《きわ》どい線の上を渡って生活の歩《ほ》を進めて行きます。その代り相手も同じ際どい針金の上を、踏み外《はず》さずに進んで来てくれなければ我慢しないのです。しかしこれが兄さんのわがままから来ると思うと間違いです。兄さんの予期通りに兄さんに向って働きかける世の中を想像して見ると、それは今の世の中より遥《はるか》に進んだものでなければなりません。したがって兄さんは美的にも智的にも乃至《ないし》倫理的にも自分ほど進んでいない世の中を忌《い》むのです。だからただのわがままとは違うでしょう。椅子を失って不安になったマラルメの窮屈ではありますまい。
 しかし苦しいのはあるいはそれ以上かも知れません。私はどうかしてその苦《くるし》みから兄さんを救い出したいと念じているのです。兄さんも自分でその苦しみに堪《た》え切れないで、水に溺《おぼ》れかかった人のように、ひたすら藻掻《もが》いているのです。私には心のなかのその争いがよく見えます。しかし天賦《てんぷ》の能力と教養の工夫とでようやく鋭くなった兄さんの眼を、ただ落ちつきを与える目的のために、再び昧《くら》くしなければならないという事が、人生の上においてどんな意義になるでしょうか。よし意義があるにしたところで、人間としてできうる仕事でしょうか。
 私はよく知っていました。考えて考えて考え抜いた兄さんの頭には、血と涙で書かれた宗教の二字が、最後の手段として、躍《おど》り叫んでいる事を知っていました。

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