2008年11月6日木曜日

三十五

  自分は親戚の片割《かたわれ》として、お貞さんの結婚式に列席するよう、父母から命ぜられていた。その日はちょうど雨がしょぼしょぼ降って、婚礼には似合しからぬ佗《わ》びしい天気であった。いつもより早く起きて番町へ行って見ると、お貞さんの衣裳《いしょう》が八畳の間に取り散らしてあった。
 便所へ行った帰りに風呂場の口を覗《のぞ》いて見たら、硝子戸《ガラスど》が半分|開《あ》いて、その中にお貞さんのお化粧をしている姿がちらりと見えた。それから「あらそこへ障《さわ》っちゃ厭《いや》ですよ」という彼女の声が聞こえた。芳江は面白半分何か悪戯《いたずら》をすると見えた。自分も芳江の真似《まね》をやろうと思ったが、場合が場合なのでつい遠慮して茶の間へ戻った。
 しばらくしてから、また八畳へ出て見ると、みんながお召換《めしかえ》をやっていた。芳江が「あのお貞さんは手へも白粉《おしろい》を塗《つ》けたのよ」と大勢に吹聴《ふいちょう》していた。実を云うと、お貞さんは顔よりも手足の方が赤黒かったのである。
「大変真白になったな。亭主を欺瞞《だま》すんだから善《よ》くない」と父が調戯《からか》っていた。
「あしたになったら旦那様《だんなさま》がさぞ驚くでしょう」と母が笑った。お貞さんも下を向いて苦笑した。彼女は初めて島田に結った。それが予期できなかった斬新《ざんしん》の感じを自分に与えた。
「この髷《まげ》でそんな重いものを差したらさぞ苦しいでしょうね」と自分が聞くと、母は「いくら重くっても、生涯《しょうがい》に一度はね……」と云って、己《おの》れの黒紋付《くろもんつき》と白襟《しろえり》との合い具合をしきりに気にしていた。お貞さんの帯は嫂《あによめ》が後へ廻って、ぐっと締めてやった。
 兄は例の臭《くさ》い巻煙草《まきたばこ》を吹かしながら広い縁側《えんがわ》をあちらこちらと逍遥《しょうよう》していた。彼はこの結婚に、まるで興味をもたないような、また彼一流の批評を心の中に加えているような、判断のでき悪《にく》い態度をあらわして、時々我々のいる座敷を覗《のぞ》いた。けれどもちょっと敷居際《しきいぎわ》にとまるだけでけっして中へは這入《はい》らなかった。「仕度《したく》はまだか」とも催促しなかった。彼はフロックに絹帽《シルクハット》を被《かぶ》っていた。
 いよいよ出る時に、父は一番綺麗な俥《くるま》を択《よ》って、お貞さんを乗せてやった。十一時に式があるはずのところを少し時間が後《おく》れたため岡田は太神宮の式台へ出て、わざわざ我々を待っていた。皆《みん》ながどやどやと一度に控所に這入ると、そこにはお婿《むこ》さんがただ一人質に取られた置物のように椅子《いす》へ腰をかけていた。やがて立ち上がって、一人一人に挨拶《あいさつ》をするうちに、自分は控所にある洋卓《テーブル》やら、絨氈《じゅうたん》やら、白木《しらき》の格天井《ごうてんじょう》やらを眺めた。突き当りには御簾《みす》が下りていて、中には何か在《あ》るらしい気色《けしき》だけれども、奥の全く暗いため何物をも髣髴《ほうふつ》する事ができなかった。その前には鶴と浪《なみ》を一面に描いためでたい一双の金屏風《きんびょうぶ》が立て廻してあった。
 縁女《えんじょ》と仲人《なこうど》の奥さんが先、それから婿と仲人の夫、その次へ親類がつづくという順を、袴《はかま》羽織《はおり》の男が出て来て教えてくれたが、肝腎《かんじん》の仲人たるべき岡田はお兼さんを連れて来なかったので、「じゃはなはだ御迷惑だけど、一郎さんとお直《なお》さんに引き受けていただきましょうか、この場|限《かぎ》り」と岡田が父に相談した。父は簡単に「好かろうよ」と答えた。嫂《あによめ》は例のごとく「どうでも」と云った。兄も「どうでも」と云ったが、後《あと》から、「しかし僕らのような夫婦が媒妁人《ばいしゃくにん》になっちゃ、少し御両人のために悪いだろう」と付け足した。
「悪いなんて――僕がするより名誉でさあね。ねえ二郎さん」と岡田が例のごとく軽い調子で云った。兄は何やらその理由を述べたいらしい気色《けしき》を見せたが、すぐ考え直したと見えて、「じゃ生れて初めての大役を引き受けて見るかな。しかし何にも知らないんだから」と云うと、「何向うで何もかも教えてくれるから世話はない。お前達は何もしないで済むようにちゃんと拵《こしら》えてあるんだ」と父が説明した。

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