2008年11月6日木曜日

三十

 その晩三沢の二階に案内された自分は、気楽そうに胡坐《あぐら》をかいた彼の姿を見て羨《うらや》ましい心持がした。彼の室《へや》は明るい電灯と、暖かい火鉢《ひばち》で、初冬《はつふゆ》の寒さから全然隔離されているように見えた。自分は彼の痼疾《こしつ》が秋風の吹き募《つの》るに従って、漸々《ぜんぜん》好い方へ向いて来た事を、かねてから彼の色にも姿にも知った。けれども今の自分と比較して、彼がこうゆったり構えていようとは思えなかった。高くて暑い空を、恐る恐る仰いで暮らした大阪の病院を憶《おも》い起すと、当時の彼と今の自分とは、ほとんど地を換えたと一般であった。
 彼はつい近頃父を失った結果として、当然一家の主人に成り済ましていた。Hさんを通してB先生から彼を使いたいと申し込まれた時も、彼はまず己《おの》れを後《のち》にするという好意からか、もしくは贅沢《ぜいたく》な択好《よりごの》みからか、せっかくの位置を自分に譲ってくれた。
 自分は電灯で照された彼の室を見廻して、その壁を隙間《すきま》なく飾っている風雅なエッチングや水彩画などについて、しばらく彼と話し合った。けれどもどういうものか、芸術上の議論は十分|経《た》つか経たないうちに自然と消えてしまった。すると三沢は突然自分に向って、「時に君の兄さんだがね」と云い出した。自分はここでもまた兄さんかと驚いた。
「兄がどうしたって?」
「いや別にどうしたって事もないが……」
 彼はこれだけ云ってただ自分の顔を眺めていた。自分は勢い彼の言葉とB先生の今朝の言葉とを胸の中《うち》で結びつけなければならなかった。
「そう半分でなく、話すなら皆《みん》な話してくれないか。兄がいったいどうしたと云うんだ。今朝もB先生から同じような事を聞かれて、妙な気がしているところだ」
 三沢は焦烈《じれ》ったそうな自分の顔をなお懇気《こんき》に見つめていたが、やがて「じゃ話そう」と云った。
「B先生の話も僕のもやっぱり同じHさんから出たのだろうと思うがね。Hさんのはまた学生から出たのだって云ったよ。何でもね、君の兄さんの講義は、平生から明瞭《めいりょう》で新しくって、大変学生に気受《きうけ》が好いんだそうだが、その明瞭な講義中に、やはり明瞭ではあるが、前後とどうしても辻褄《つじつま》の合わない所が一二箇所出て来るんだってね。そうしてそれを学生が質問すると、君の兄さんは元来正直な人だから、何遍も何遍も繰返して、そこを説明しようとするが、どうしても解らないんだそうだ。しまいに手を額へ当てて、どうも近来頭が少し悪いもんだから……とぼんやり硝子窓《ガラスまど》の外を眺めながら、いつまでも立っているんで、学生も、そんならまたこの次にしましょうと、自分の方で引き下がった事が、何でも幾遍もあったと云う話さ。Hさんは僕に今度長野(自分の姓)に逢《あ》ったら、少し注意して見るが好い。ことによると烈《はげ》しい神経衰弱なのかも知れないからって云ったが、僕もとうとうそれなり忘れてしまって、今君の顔を見るまで実は思い出せなかったのだ」
「そりゃいつ頃の事だ」と自分はせわしなく聞いた。
「ちょうど君の下宿する前後の事だと思っているが、判然《はっきり》した事は覚えていない」
「今でもそうなのか」
 三沢は自分の思い逼《せま》った顔を見て、慰めるように「いやいや」と云った。
「いやいやそれはほんに一時的の事であったらしい。この頃では全然平生と変らなくなったようだと、Hさんが二三日《にさんち》前僕に話したから、もう安心だろう。しかし……」
 自分は家《うち》を出た時に自分の胸に刻み込んだ兄との会見を思わず憶《おも》い出した。そうしてその折の自分の疑いが、あるいは学校で証明されたのではなかろうかと考えて、非常に心細くかつ恐ろしく感じた。

0 件のコメント: