2008年11月5日水曜日

五十一

 昨日《きのう》の朝食事をした時、飯櫃《めしびつ》を置いた位地《いち》の都合から、私が兄さんの茶碗を受けとって、一膳目《いちぜんめ》の御飯をよそってやりますと、兄さんはまたお貞さんの名を私の耳に訴えました。お貞さんがまだ嫁に行かないうちは、ちょうど今私がしたように、始終《しじゅう》兄さんのお給仕をしたものだそうですね。昨夜《ゆうべ》は性格の点からお貞さんに比較され、今朝はまたお給仕の具合で同じお貞さんにたとえられた私は、つい兄さんに向って質問を掛けて見る気になりました。
「君はそのお貞さんとかいう人と、こうしていっしょに住んでいたら幸福になれると思うのか」
 兄さんは黙って箸《はし》を口へ持って行きました。私は兄さんの態度から推《お》して、おおかた返事をするのが厭《いや》なんだろうと考えたので、それぎり後《あと》を推《お》しませんでした。すると兄さんの答が、御飯を二口三口|嚥《の》み下《くだ》したあとで、不意に出て来ました。
「僕はお貞さんが幸福に生れた人だと云った。けれども僕がお貞さんのために幸福になれるとは云やしない」
 兄さんの言葉はいかにも論理的に終始を貫いて真直《まっすぐ》に見えます。けれども暗い奥には矛盾がすでに漂《ただ》よっています。兄さんは何にも拘泥《こうでい》していない自然の顔をみると感謝したくなるほど嬉《うれ》しいと私に明言した事があるのです。それは自分が幸福に生れた以上、他《ひと》を幸福にする事もできると云うのと同じ意味ではありませんか。私は兄さんの顔を見てにやにやと笑いました。兄さんはそうなるとただではすまされない男です。すぐ食いついて来ます。
「いや本当にそうなのだ。疑ぐられては困る。実際僕の云った事は云った事で、云わない事は云わない事なんだから」
 私は兄さんに逆《さか》らいたくはありませんでした。けれどもこれほど頭の明かな兄さんが、自分の平生から軽蔑《けいべつ》している言葉の上の論理を弄《もてあそ》んで、平気でいるのは少しおかしいと思いました。それで私の腹にあった兄さんの矛盾を遠慮なく話して聞かせました。
 兄さんはまた無言で飯を二口ほど頬張《ほおば》りました。兄さんの茶碗はその時|空《から》になりましたが、飯櫃《めしびつ》は依然として兄さんの手の届かない私の傍《そば》にありました。私はもう一遍給仕をする考えで、兄さんの鼻の先へ手を出したのです。ところが今度は兄さんが応じません。こっちへ寄こしてくれと云います。
 私は飯櫃を向うへ押してやりました。兄さんは自分でしゃもじを取って、飯をてこ盛《もり》にもり上げました。それからその茶碗を膳《ぜん》の上に置いたまま、箸《はし》も執《と》らずに私に問いかけるのです。
「君は結婚前の女と、結婚後の女と同じ女だと思っているのか」
 こうなると私にはおいそれと返事ができなくなります。平生そんな事を考えて見ないからでもありましょうが。今度は私の方が飯を二口三口立て続けに頬張って、兄さんの説明を待ちました。
「嫁に行く前のお貞さんと、嫁に行ったあとのお貞さんとはまるで違っている。今のお貞さんはもう夫のためにスポイルされてしまっている」
「いったいどんな人のところへ嫁に行ったのかね」と私が途中で聞きました。
「どんな人のところへ行こうと、嫁に行けば、女は夫のために邪《よこしま》になるのだ。そういう僕がすでに僕の妻《さい》をどのくらい悪くしたか分らない。自分が悪くした妻から、幸福を求めるのは押《おし》が強過ぎるじゃないか。幸福は嫁に行って天真《てんしん》を損《そこな》われた女からは要求できるものじゃないよ」
 兄さんはそういうや否や、茶碗を取り上げて、むしゃむしゃてこ盛の飯を平《たい》らげました。

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