我々は沼津で二日ほど暮しました。ついでに興津《おきつ》まで行こうかと相談した時、兄さんは厭《いや》だと云いました。旅程にかけては、万事私の思いのままになっている兄さんが、なぜその時に限って断然私の申《もう》し出《いで》を拒絶したものか、私にはとんと解りませんでした。後でその説明を聞いたら、三保《みほ》の松原《まつばら》だの天女《てんにょ》の羽衣《はごろも》だのが出て来る所は嫌《きら》いだと云うのです。兄さんは妙な頭をもった人に違《ちがい》ありません。
我々はついに三島《みしま》まで引き返しました。そこで大仁《おおひと》行の汽車に乗り換えて、とうとう修善寺《しゅぜんじ》へ行きました。兄さんには始めからこの温泉が大変気に入っていたようです。しかし肝心《かんじん》の目的地へ着くや否や、兄さんは「おやおや」という失望の声を放ちました。実際兄さんの好いていたのは、修善寺という名前で、修善寺という所ではなかったのです。瑣事《さじ》ですが、これも幾分か兄さんの特色になりますからついでにつけ加えておきます。
御承知の通りこの温泉場は、山と山が抱合っている隙間《すきま》から谷底へ陥落したような低い町にあります。一旦《いったん》そこへ這入《はい》った者は、どっちを見ても青い壁で鼻が支《つか》えるので、仕方なしに上を見上げなければなりません。俯向《うつむ》いて歩いたら、地面の色さえ碌《ろく》に眼には留まらないくらい狭苦しいのです。今まで海よりも山の方が好いと云っていた兄さんは、修善寺へ来て山に取り囲まれるが早いか、急に窮屈がり出しました。私はすぐ兄さんを伴《つ》れて、表へ出て見ました。すると、普通の町ならまず往来に当る所が、一面の川床《かわどこ》で、青い水が岩に打《ぶ》つかりながらその中を流れているのです。だから歩くと云っても、歩きたいだけ歩く余地は無論ありませんでした。私は川の真中《まんなか》の岩の間から出る温泉に兄さんを誘い込みました。男も女もごちゃごちゃに一つ所《とこ》に浸《つか》っているのが面白かったからです。不潔な事も話の種になるくらいでした。兄さんと私はさすがにそこへ浴衣《ゆかた》を投げ棄《す》てて這入《はい》る勇気はありませんでした。しかし湯の中にいる黒い人間を、岩の上に立って物好《ものずき》らしくいつまでも眺めていました。兄さんは嬉《うれ》しそうでした。岩から岸に渡した危ない板を踏みながら元の路へ引き返す時に、兄さんは「善男善女《ぜんなんぜんにょ》」という言葉を使いました。それが雑談《じょうだん》半分の形容詞でなく、全くそう思われたらしいのです。
翌朝《あくるあさ》楊枝《ようじ》を銜《くわ》えながら、いっしょに内風呂に浸った時、兄さんは「昨夕《ゆうべ》も寝られないで困った」と云いました。私は今の兄さんに取って寝られないが一番毒だと考えていましたので、ついそれを問題にしました。
「寝られないと、どうかして寝よう寝ようと焦《あせ》るだろう」と私が聞きました。
「全くそうだ、だからなお寝られなくなる」と兄さんが答えました。
「君、寝なければ誰かにすまない事でもあるのか」と私がまた聞きました。
兄さんは変な顔をしました。石で畳んだ風呂槽《ふろおけ》の縁《ふち》に腰をかけて、自分の手や腹を眺めていました。兄さんは御存じの通り余り肥《ふと》ってはいません。
「僕も時々寝られない事があるが、寝られないのもまた愉快なものだ」と私が云いました。
「どうして」と今度は兄さんが聞きました。私はその時私の覚えていた灯影無睡《とうえいむすい》を照《てら》し心清妙香《しんせいみょうこう》を聞《き》くという古人の句を兄さんのために挙《あ》げました。すると兄さんはたちまち私の顔を見てにやにや笑いました。
「君のような男にそういう趣《おもむき》が解るかね」と云って、不審そうな様子をしました。
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