2008年11月5日水曜日

三十四

「君近頃神というものについて考えた事はないか」
 私はしまいにこういう質問を兄さんにかけました。私がここでとくに「近頃」と断ったのは、書生時代の古い回想から来たものであります。その時分は二人共まだ考えの纏《まと》まらない青二才でしたが、それでも私は思索に耽《ふけ》り勝《がち》な兄さんと、よく神の存在について云々したものであります。ついでだから申しますが、兄さんの頭はその時分から少しほかの人とは変っていました。兄さんは浮々《うかうか》と散歩をしていて、ふと自分が今歩いていたなという事実に気がつくと、さあそれが解すべからざる問題になって、考えずにはいられなくなるのでした。歩こうと思えば歩くのが自分に違《ちがい》ないが、その歩こうと思う心と、歩く力とは、はたしてどこから不意に湧《わ》いて出るか、それが兄さんには大いなる疑問になるのでした。
 二人はそんな事から神とか第一原因とかいう言葉をよく使いました。今から考えると解らずに使ったのでした。しかし口の先で使い慣れた結果、しまいには神もいつか陳腐《ちんぷ》になりました。それから二人とも申し合せたように黙りました。黙ってから何年目になるでしょう。私は静かな夏の朝の、海という深い色を沈める大きな器《うつわ》の前に立って、兄さんと相対しつつ、再び神という言葉を口にしたのであります。
 しかし兄さんはその言葉を全く忘れていました。思い出す気色《けしき》さえありませんでした。私の質問に対する返事としては、ただ微《かす》かな苦笑があの皮肉な唇《くちびる》の端を横切っただけでした。
 私は兄さんのこの態度で辟易《へきえき》するほどに臆病ではありませんでした。また思う事を云い終《おお》せずに引込むほど疎《うと》い間柄《あいだがら》でもありませんでした。私は一歩前へ進みました。
「どこの馬の骨だか分らない人間の顔を見てさえ、時々ありがたいという気が起るなら、円満な神の姿を束《つか》の間《ま》も離れずに拝んでいられる場合には、何百倍幸福になるか知れないじゃないか」
「そんな意味のない口先だけの論理《ロジック》が何の役に立つものかね。そんなら神を僕の前に連れて来て見せてくれるが好い」
 兄さんの調子にも兄さんの眉間《みけん》にも自烈《じれっ》たそうなものが顫動《せんどう》していました。兄さんは突然|足下《あしもと》にある小石を取って二三間|波打際《なみうちぎわ》の方に馳《か》け出しました。そうしてそれを遥《はるか》の海の中へ投げ込みました。海は静かにその小石を受け取りました。兄さんは手応《てごたえ》のない努力に、憤《いきどお》りを起す人のように、二度も三度も同じ所作《しょさ》を繰返しました。兄さんは磯《いそ》へ打ち上げられた昆布《こぶ》だか若布《わかめ》だか、名も知れない海藻《かいそう》の間を構わず駈《か》け廻りました。それからまた私の立って見ている所へ帰って来ました。
「僕は死んだ神より生きた人間の方が好きだ」
 兄さんはこう云うのです。そうして苦しそうに呼息《いき》をはずませていました。私は兄さんを連れて、またそろそろ宿の方へ引き返しました。
「車夫でも、立ん坊でも、泥棒でも、僕がありがたいと思う刹那《せつな》の顔、すなわち神じゃないか。山でも川でも海でも、僕が崇高だと感ずる瞬間の自然、取りも直さず神じゃないか。そのほかにどんな神がある」
 兄さんからこう論じかけられた私は、ただ「なるほど」と答えるだけでした。兄さんはその時は物足りない顔をします。しかし後《あと》になるとやっぱり私に感心したような素振《そぶり》を見せます。実を云うと、私の方が兄さんにやり込められて感心するだけなのですが。

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