一昨日《おととい》の晩は二人で浜を散歩しました。私たちのいる所から海辺《うみべ》までは約三丁もあります。細い道を通って、いったん街道へ出て、またそれを横切らなければ海の色は見えないのです。月の出にはまだ間がある時刻でした。波は存外暗く動いていました。眼がなれるまでは、水と磯《いそ》との境目《さかいめ》が判然《はっきり》分らないのです。兄さんはその中を容赦なくずんずん歩いて行きます。私は時々|生温《なまぬる》い水に足下《あしもと》を襲われました。岸へ寄せる波の余りが、のし餅《もち》のように平《たい》らに拡《ひろ》がって、思いのほか遠くまで押し上げて来るのです。私は後《うしろ》から兄さんに、「下駄《げた》が濡《ぬ》れやしないか」と聞きました。兄さんは命令でも下すように、「尻を端折《はしお》れ」と云いました。兄さんは先刻《さっき》から足を汚す覚悟で、尻を端折っていたものと見えます。二三間離れた私にはそれが分らないくらい四囲《あたり》が暗いのでした。けれども時節柄《じせつがら》なんでしょう、避暑地だけあって人に会います。そうして会う人も会う人も、必ず男女《なんにょ》二人連《ふたりづれ》に限られていました。彼らは申し合せたように、黙って闇《やみ》の中を辿《たど》って来ます。だから忽然《こつぜん》[#ルビの「こつぜん」は底本では「こつぜつ」]私たちの前へ現われるまでは、まるで気がつかないのです。彼らが摺《す》り抜けるように私たちの傍《そば》を通って行く時、眼を上げて物色《ぶっしょく》すると、どれもこれも若い男と若い女ばかりです。私はこういう一対《いっつい》に何度か出合いました。
私が兄さんからお貞さんという人の話を聞いたのはその時の事でした。お貞さんは近頃大阪の方へ御嫁に行ったんだそうですから、兄さんはその宵《よい》に出逢《であ》った幾組かの若い男や女から、お貞さんの花嫁姿を連想でもしたのでしょう。
兄さんはお貞さんを宅中《うちじゅう》で一番慾の寡《すく》ない善良な人間だと云うのです。ああ云うのが幸福に生れて来た人間だと云って羨《うらや》ましがるのです。自分もああなりたいと云うのです。お貞さんを知らない私は、何とも評しようがありませんから、ただそうかそうかと答えておきました。すると兄さんが「お貞さんは君を女にしたようなものだ」と云って砂の上へ立ちどまりました。私も立ちどまりました。
向うの高い所に微《かす》かな灯火《ともしび》が一つ眼に入りました。昼間見ると、その見当《けんとう》に赤い色の建物が樹《こ》の間隠《まがくれ》に眺められますから、この灯火もおおかたその赤い洋館の主《ぬし》が点《つ》けているのでしょう。濃い夜陰《やいん》の色の中にたった一つかけ離れて星のように光っているのです。私の顔はその灯火の方を向いていました。兄さんはまた浪《なみ》の来る海をまともに受けて立ちました。
その時二人の頭の上で、ピアノの音《ね》が不意に起りました。そこは砂浜から一間の高さに、石垣を規則正しく積み上げた一構《ひとかまえ》で、庭から浜へじかに通えるためでしょう、石垣の端《はじ》には階段が筋違《すじかい》に庭先まで刻《きざ》み上げてありました。私はその石段を上りました。
庭には家を洩《も》れる電灯の光が、線のように落ちていました。その弱い光で照されていた地面は一体の芝生《しばふ》でした。花もあちこちに咲いているようでしたが、これは暗い上に広い庭なので、判然《はっきり》とは分りませんでした。ピアノの音《おと》は正面に見える洋館の、明るく照された一室から出るようでした。
「西洋人の別荘だね」
「そうだろう」
兄さんと私は石段の一番上の所に並んで腰をかけました。聞こえないようなまた聞こえるようなピアノの音が、時々二人の耳を掠《かす》めに来ます。二人共無言でした。兄さんの吸う煙草《たばこ》の先が時々赤くなりました。
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