2008年11月5日水曜日

四十六

 箱根を出る時兄さんは「二度とこんな所は御免《ごめん》だ」と云いました。今まで通って来たうちで、兄さんの気に入った所はまだ一カ所もありません。兄さんは誰とどこへ行っても直《すぐ》厭《いや》になる人なのでしょう。それもそのはずです。兄さんには自分の身躯《からだ》や自分の心からしてがすでに気に入っていないのですから。兄さんは自分の身躯や心が自分を裏切《うらぎ》る曲者《くせもの》のように云います。それが徒爾《いたずら》半分の出放題《でほうだい》でない事は、今日《きょう》までいっしょに寝泊《ねとま》りの日数《ひかず》を重ねた私にはよく理解できます。その私からありのままの報知を受けるあなたにもとくと御合点《ごがてん》が行く事だろうと思います。
 こういう兄さんと、私がよくいっしょに旅ができると御思いになるかも知れません。私にも考えると、それが不思議なくらいです。兄さんを上《かみ》に述べたように頭の中へ畳み込んだが最後、いかに遅鈍《ちどん》な私だって、御相手はでき悪《にく》い訳です。しかし事実私は今兄さんとこうして差向いで暮していながら、さほどに苦痛を感じてはいないのです。少くとも傍《はた》で想像するよりはよほど楽なのだろうと考えています。そうしてそれをなぜだと聞かれたら、ちょっと返答に差支《さしつか》えるのです。あなたも同じ兄さんについて同じ経験をなさりはしませんか。もし同じ経験をなさらないならば、骨肉を分けたあなたよりも、他人の私の方が、兄さんに親しい性質をもって生れて来たのでしょう。親しいというのは、ただ仲が好いと云う意味ではありません。和《わ》して納《おさ》まるべき特性をどこか相互に分担《ぶんたん》して前へ進めるというつもりなのです。
 私は旅へ出てから絶えず兄さんの気に障《さわ》るような事を云ったりしたりしました。ある時は頭さえ打《ぶ》たれました。それでも私はあなたの家庭のすべての人の前に立って、私はまだ兄さんから愛想を尽かされていないという事を明言できると思います。同時に、一種の弱点を持ったこの兄さんを、私は今でも衷心《ちゅうしん》から敬愛していると固く信じて疑わないのであります。
 兄さんは私のような凡庸《ぼんよう》な者の前に、頭を下げて涙を流すほどの正しい人です。それをあえてするほどの勇気をもった人です。それをあえてするのが当然だと判断するだけの識見を具《そな》えた人です。兄さんの頭は明か過ぎて、ややともすると自分を置き去りにして先へ行きたがります。心の他《ほか》の道具が彼の理智と歩調を一つにして前へ進めないところに、兄さんの苦痛があるのです。人格から云えばそこに隙間《すきま》があるのです。成功から云えばそこに破滅が潜《ひそ》んでいるのです。この不調和を兄さんのために悲しみつつある私は、すべての原因をあまりに働き過ぎる彼の理智の罪に帰《き》しながら、やっぱり、その理智に対する敬意を失う事ができないのです。兄さんをただの気むずかしい人、ただのわがままな人とばかり解釈していては、いつまで経《た》っても兄さんに近寄る機会は来ないかも知れません。したがって少しでも兄さんの苦痛を柔《やわら》げる縁は、永劫《えいごう》に去ったものと見なければなりますまい。
 我々は前《ぜん》申した通り箱根を立ちました。そうして直《すぐ》にこの紅《べに》が谷《やつ》の小別荘に入りました。私はその前ちょっと国府津《こうづ》に泊って見るつもりで、暗《あん》に一人《ひとり》ぎめのプログラムを立てていたのですが、とうとう兄さんにはそれを云い出さずにしまったのです。国府津でもまた「二度とこんな所は御免《ごめん》だ」と怒られそうでしたから。その上兄さんは私からこの別荘の話を聞いて、しきりにそこへ落ちつきたがっていたのです。

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