何にでも刺戟《しげき》されやすい癖に、どんな刺戟にも堪《た》え切れないと云った風の、今の兄さんには、草庵《そうあん》めいたこの別荘が最も適していたのかも知れません。兄さんは物静かな座敷から、谷一つ隔てて向うの崖《がけ》の高い松を見上げた時、「好いな」と云ってそこへ腰をおろしました。
「あの松も君の所有だ」
私は慰めるような句調で、わざと兄さんの口吻《こうふん》を真似て見せました。修善寺ではとんと解らなかった「あの百合《ゆり》は僕の所有だ」とか、「あの山も谷も僕の所有だ」とか云った兄さんの言葉を想《おも》い出したからです。
別荘には留守番《るすばん》の爺《じい》さんが一人いましたが、これは我々と出違《でちがい》に自分の宅《うち》へ帰りました。それでも拭掃除《ふきそうじ》のためや水を汲むために朝夕《あさゆう》一度ぐらいずつは必ず来てくれます。男二人の事ですから、煮炊《にたき》は無論できません。我々は爺さんに頼んで近所の宿屋から三度三度食事を運んで貰う事にしました。夜は電灯の設備がありますから、洋灯《ランプ》を点《とも》す手数《てかず》は要《い》らないのです。こういう訳で、朝起きてから夜寝るまでに、我々の是非やらなければならない事は、まあ床を延べて蚊帳《かや》を釣るくらいなものです。
「自炊よりも気楽で閑静だね」と兄さんが云います。実際今まで通って来た山や海のうちで、ここが一番|静《しずか》に違ないのです。兄さんと差向いで黙っていると、風の音さえ聞こえない事があります。多少やかましいと思うのは珊瑚樹《さんごじゅ》の葉隠れにぎいぎい軋《きし》る隣の車井戸《くるまいど》の響ですが、兄さんは案外それには無頓着《むとんじゃく》です。兄さんはだんだん落ちついて来るようです。私はもっと早く兄さんをここへ連れて来れば好かったと思いました。
庭先に少しばかりの畠《はたけ》があって、そこに茄子《なす》や唐《とう》もろこしが作ってあります。この茄子を※[#「てへん+劣」、第3水準1-84-77]《も》いで食おうかと相談しましたが、漬物《つけもの》に拵《こしら》えるのが面倒なので、ついやめにしました。唐もろこしはまだ食べられるほど実が入りません。勝手口の井戸の傍《そば》に、トマトーが植えてあります。それを朝、顔を洗うついでに、二人で食いました。
兄さんは暑い日盛《ひざかり》に、この庭だか畑だか分らない地面の上に下りて、じっと蹲踞《しゃが》んでいる事があります。時々かんなの花の香《におい》を嗅《か》いで見たりします。かんなに香なんかありゃしません。凋《しぼ》んだ月見草の花片《はなびら》を見つめている事もあります。着いた日などは左隣の長者《ちょうじゃ》の別荘の境に生えている薄《すすき》の傍へ行って、長い間立っていました。私は座敷からその様子を眺めていましたが、いつまで経《た》っても兄さんが動かないので、しまいに縁先にある草履《ぞうり》をつっかけて、わざわざ傍へ行って見ました。隣と我々の住居《すまい》との仕切になっているそこは、高さ一間ぐらいの土堤《どて》で、時節柄《じせつがら》一面の薄《すすき》が蔽《おお》い被《かぶ》さっているのです。兄さんは近づいた私を顧みて、下の方にある薄の根を指さしました。
薄の根には蟹《かに》が這《は》っていました。小さな蟹でした。親指の爪ぐらいの大きさしかありません。それが一匹ではないのです。しばらく見ているうちに、一匹が二匹になり、二匹が三匹になるのです。しまいにはあすこにもここにも蒼蠅《うるさ》いほど眼に着き出します。
「薄の葉を渡る奴《やつ》があるよ」
兄さんはこんな観察をして、まだ動かずに立っています。私は兄さんをそこへ残してまたもとの席へ帰りました。
兄さんがこういう些細《ささい》な事に気を取られて、ほとんど我を忘れるのを見る私は、はなはだ愉快です。これでこそ兄さんを旅行に連れ出した甲斐《かい》があると思うくらいです。その晩私はその意味を兄さんに話しました。
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