2008年11月5日水曜日

四十三

 我々はその晩とうとう山へ行く事になりました。山と云っても小田原からすぐ行かれる所は箱根のほかにありません。私はこの通俗な温泉場へ、最も通俗でない兄さんを連れ込んだのです。兄さんは始めから、きっと騒々しいに違ないと云っていました。それでも山だから二三日は我慢できるだろうと云うのです。
「我慢しに温泉場へ行くなんてもったいない話だ」
 これもその時兄さんの口から出た自嘲《じちょう》の言葉でした。はたして兄さんは着いた晩からして、やかましい隣室の客を我慢しなければならなくなりました。この客は東京のものか横浜のものか解りませんが、何でも言葉の使いようから判断すると、商人とか請負師《うけおいし》とか仲買《なかがい》とかいう部に属する種類の人間らしく思われました。時々不調和に大きな声を出します。傍若無人《ぼうじゃくぶじん》に騒ぎます。そういう事にあまり頓着《とんじゃく》のない私さえずいぶん辟易《へきえき》しました。御蔭《おかげ》でその晩は兄さんも私もちっともむずかしい話をしずに寝てしまいました。つまり隣りの男が我々の思索を破壊するために騒いだ事に当るのです。
 翌《あく》る朝《あさ》私が兄さんに向って、「昨夜《ゆうべ》は寝られたか」と聞きますと、兄さんは首を掉《ふ》って、「寝られるどころか。君は実に羨《うらや》ましい」と答えました。私はどうしても寝つかれない兄さんの耳に、さかんな鼾声《いびき》を終宵《よもすがら》聞かせたのだそうです。
 その日は夜明から小雨《こさめ》が降っていました。それが十時頃になると本降《ほんぶり》に変りました。午《ひる》少し過には、多少の暴模様《あれもよう》さえ見えて来ました。すると兄さんは突然立ち上って尻《しり》を端折《はしお》ります。これから山の中を歩くのだと云います。凄《すさ》まじい雨に打たれて、谷崖《たにがけ》の容赦《ようしゃ》なくむやみに運動するのだと主張します。御苦労千万だとは思いましたが、兄さんを思い留らせるよりも、私が兄さんに賛成した方が、手数《てかず》が省けますので、つい「よかろう」と云って、私も尻を端折りました。
 兄さんはすぐ呼息《いき》の塞《つま》るような風に向って突進しました。水の音だか、空の音だか、何ともかとも喩《たと》えられない響の中を、地面から跳《は》ね上る護謨球《ゴムだま》のような勢いで、ぽんぽん飛ぶのです。そうして血管の破裂するほど大きな声を出して、ただわあっと叫びます。その勢いは昨夜の隣室の客より何層倍猛烈だか分りません。声だって彼よりも遥《はるか》に野獣らしいのです。しかもその原始的な叫びは、口を出るや否や、すぐ風に攫《さら》って行かれます。それをまた雨が追いかけて砕き尽します。兄さんはしばらくして沈黙に帰りました。けれどもまだ歩き廻りました。呼息《いき》が切れて仕方なくなるまで歩き廻りました。
 我々が濡《ぬ》れ鼠《ねずみ》のようになって宿へ帰ったのは、出てから一時間目でしたろうか、また二時間目にかかりましたろうか。私は臍《へそ》の底《そこ》まで冷えました。兄さんは唇《くちびる》の色を変えていました。湯に這入《はい》って暖まった時、兄さんはしきりに「痛快だ」と云いました。自然に敵意がないから、いくら征服されても痛快なんでしょう。私はただ「御苦労な事だ」と云って、風呂のなかで心持よく足を伸ばしました。
 その晩は予期に反して、隣の室《へや》がひっそりと静まっていました。下女に聞いて見ると、兄さんを悩ました昨夕《ゆうべ》の客は、いつの間にかもう立ってしまったのでした。私が兄さんから思いがけない宗教観を聞かされたのはその宵《よい》の事です。私はちょっと驚きました。

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