2008年11月5日水曜日

二十九

  我々は二三日前からこの紅《べに》が谷《やつ》の奥に来て、疲れた身体《からだ》を谷と谷の間に放り出しました。いる所は私の親戚のもっている小さい別荘です。所有主は八月にならないと東京を離れる事がむずかしいので、その前ならいつでも君方に用立《ようだ》てて宜《よろ》しいと云った言葉を、はからず旅行中に利用する訳になったのであります。
 別荘というと大変|人聞《ひとぎき》が好いようですが、その実ははなはだ見苦しい手狭《てぜま》なもので、構えからいうと、ちょうど東京の場末にある四五十円の安官吏[#「吏」は底本では「史」]の住居《すまい》です。しかし田舎《いなか》だけに邸内の地面には多少の余裕があります。庭だか菜園だか分らないものが、軒から爪下《つまさが》りに向うの垣根まで続いています。その垣には珊瑚樹《さんごじゅ》の実が一面に結《な》っていて、葉越に隣の藁屋根《わらやね》が四半分ほど見えます。
 同じ軒の下から谷を隔てて向うの山も手に取るように見えます。この山全体がある伯爵の別荘地で、時には浴衣《ゆかた》の色が樹《こ》の間《ま》から見えたり、女の声が崖《がけ》の上で響いたりします。その崖の頂《いただき》には高い松が空を突くように聳《そび》えています。我々は低い軒の下から朝夕《あさゆう》この松を見上るのを、高尚な課業のように心得て暮しています。
 今まで通って来たうちで、君の兄さんにはここが一番気に入ったようです。それにはいろいろな意味があるかも知れませんが、二人ぎりで独立した一軒の家の主人《あるじ》になりすまされたという気分が、人慣れない兄さんの胸に一種の落ちつきを与えるのが、その大原因だろうと思います。今までどこへ泊ってもよく寝られなかった兄さんは、ここへ来た晩からよく寝ます。現に今私がこうやって万年筆《まんねんふで》を走らしている間も、ぐうぐう寝ています。
 もう一つここへ来てから偶然の恩恵に浴したと思うのは、普通の宿屋のように二人が始終《しじゅう》膝《ひざ》を突き合わして、一つの部屋にごろごろしていないですむ事です。家は今申した通り手狭《てぜま》至極《しごく》なものであります。門を出て右の坂上にある或る長者《ちょうじゃ》の拵《こしら》えた西洋館などに比べると全くの燐寸箱《マッチばこ》に過ぎません。それでも垣を囲《めぐ》らして四方から切り離した独立の一軒家です。窮屈ではあるが間数《まかず》は五つほどあります。兄さんと私は一つ座敷に吊《つ》った一つ蚊帳《かや》の中に寝ます。しかし宿屋と違って同じ時間に起きる必要はありません。片方が起きても、片方は寝たいだけ寝ていられます。私は兄さんをそっとしておいて、次の座敷に据《す》えてある一閑張《いっかんばり》の机に向う事ができます。昼もその通りです。二人差向いでいるのが苦痛になれば、どっちかが勝手に姿を隠して、自分に都合のいい事を、好な時間だけやります。それから適当な頃にまた出て来て顔を見せます。
 私はこういう偶然を利用してこの手紙を書くのであります。そうしてこの偶然を思いがけなく利用する事のできた自分を、あなたのために仕合せと考えます。同時に、それを利用する必要を認め出した自分を、自分のために遺憾《いかん》だと思います。
 私のいう事は順序からいうと日記体に纏《まと》まっておりません。分類からいうと科学的に区別が立たないかも知れません。しかしそれは汽車、俥《くるま》、宿、すべて規則的な仕事を妨《さまた》げる旅行というものの障害と、平気で取りかかりにくいというその仕事の性質とが、破壊的に働いた結果と思っていただくより仕方がありません。断片的にせよ下《しも》に述べるだけの事をあなたに報道し得るのがすでに私には意外なのであります。全く偶然の御蔭《おかげ》なのであります。

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