案の通り兄さんは時を移さず戻って来ました。そうして突然《いきなり》「やろう」というや否や、自分の手から、碁石を※[#「てへん+劣」、第3水準1-84-77]《も》ぎ取るように引《ひ》っ手繰《たく》りました。私は何の気もつかずに、「よろしい」と答えて、すぐ打ち始めました。我々のは申すまでもなくヘボ碁ですから、石を下《くだ》すのも早いし、勝負の片づくのも雑作《ぞうさ》はありません。一時間のうちに悠《ゆう》に二番ぐらいは始末ができるくらいだから、見ていても局に対《むか》っていても、間怠《まだる》い思いはけっしてないのです。ところを兄さんは、その手早く運んで行く碁面を、しまいまで辛抱して眺めているのは苦痛だと云って、とうとう中途でやめてしまいました。私は心持でも悪くなったのかと思って心配しましたが、兄さんはただ微笑していました。
床に入る前になって、私は始めて兄さんからその時の心理状態の説明を聞きました。兄さんは碁を打つのは固《もと》より、何をするのも厭《いや》だったのだそうです。同時に、何かしなくってはいられなかったのだそうです。この矛盾がすでに兄さんには苦痛なのでした。兄さんは碁を打ち出せば、きっと碁なんぞ打っていられないという気分に襲われると予知していたのです。けれどもまた打たずにはいられなくなったのです。それでやむをえず盤に向ったのです。盤に向うや否や自烈《じれっ》たくなったのです。しまいには盤面に散点する黒と白が、自分の頭を悩ますために、わざと続いたり離れたり、切れたり合ったりして見せる、怪物のように思われたのだそうです。兄さんはもうちっとで、盤面をめちゃめちゃに掻《か》き乱して、この魔物を追払《おっぱら》うところだったと云いました。何事も知らなかった私は、少し驚きながらも悪い事をしたと思いました。
「いや碁に限った訳じゃない」と云って兄さんは、自分の過失《あやまち》を許してくれました。私はその時兄さんから、兄さんの平生を聞きました。兄さんの態度は碁を中途でやめた時ですら落ちついていました。上部《うわべ》から見ると何の異状もない兄さんの心持は、おそらくあなた方には理解されていないかも知れません。少くともこういう私には一つの発見でした。
兄さんは書物を読んでも、理窟《りくつ》を考えても、飯を食っても、散歩をしても、二六時中何をしても、そこに安住する事ができないのだそうです。何をしても、こんな事をしてはいられないという気分に追いかけられるのだそうです。
「自分のしている事が、自分の目的《エンド》になっていないほど苦しい事はない」と兄さんは云います。
「目的でなくっても方便《ミインズ》になれば好いじゃないか」と私が云います。
「それは結構である。ある目的があればこそ、方便が定められるのだから」と兄さんが答えます。
兄さんの苦しむのは、兄さんが何をどうしても、それが目的にならないばかりでなく、方便にもならないと思うからです。ただ不安なのです。したがってじっとしていられないのです。兄さんは落ちついて寝ていられないから起きると云います。起きると、ただ起きていられないから歩くと云います。歩くとただ歩いていられないから走《か》けると云います。すでに走け出した以上、どこまで行っても止まれないと云います。止まれないばかりなら好いが刻一刻と速力を増して行かなければならないと云います。その極端を想像すると恐ろしいと云います。冷汗が出るように恐ろしいと云います。怖《こわ》くて怖くてたまらないと云います。
0 件のコメント:
コメントを投稿