やがて用事が三沢の口から切り出された。自分はすぐその後《あと》に随《つ》いて主要な点を説明した。Hさんは首を捻《ひね》った。
「そりゃ少し妙ですね、そんなはずはなさそうだがね」
彼の不審はけっして偽《いつわり》とは見えなかった。彼は昨日《きのう》Kの結婚披露に兄と精養軒で会った。そこを出る時にもいっしょに出た。話が途切《とぎ》れないので、浮か浮かと二人連立って歩いた。しまいに兄が疲れたといった。Hさんは自分の家に兄を引張って行った。
「兄さんはここで晩飯を食ったくらいなんだからね。どうも少しも不断と違ったところはないようでしたよ」
わがままに育った兄は、平生から家《うち》で気むずかしい癖に、外では至極《しごく》穏かであった。しかしそれは昔の兄であった。今の彼を、ただ我儘《わがまま》の二字で説明するのは余りに単純過ぎた。自分はやむをえずその時兄がHさんに向って重《おも》にどんな話をしたか、差支《さしつか》えない限りそれを聞こうと試みた。
「なに別に家庭の事なんか一口も云やしませんよ」
これも嘘《うそ》ではなかった。記憶の好いHさんは、その時の話題を明瞭《めいりょう》に覚えていて、それを最も淡泊《たんぱく》な態度で話してくれた。
兄はその時しきりに死というものについて云々したそうである。彼は英吉利《イギリス》や亜米利加《アメリカ》で流行《はや》る死後の研究という題目に興味をもって、だいぶその方面を調べたそうである。けれども、どれもこれも彼には不満足だと云ったそうである。彼はメーテルリンクの論文も読んで見たが、やはり普通のスピリチュアリズムと同じようにつまらんものだと嘆息したそうである。
兄に関するHさんの話は、すべて学問とか研究とかいう側《がわ》ばかりに限られていた。Hさんは兄の本領としてそれを当然のごとくに思っているらしかった。けれども聞いている自分は、どうしてもこの兄と家庭の兄とを二つに切り離して考える訳には行かなかった。むしろ家庭の兄がこういう研究的な兄を生み出したのだとしか理解できなかった。
「そりゃ動揺はしていますね。御宅の方の関係があるかないか、そこは僕にも解らないが、何しろ思想の上で動揺して落ちつかないで弱っている事はたしかなようです」
Hさんはしまいにこう云った。彼はその上に兄の神経衰弱も肯《うけ》がった。しかしそれは兄の隠している事でも何でもなかった。兄はHさんに会うたんびに、ほとんどきまり文句のように、それを訴えてやまなかったそうである。
「だからこの際旅行は至極《しごく》好いでしょうよ。そう云う訳なら一つ勧めて見ましょう。しかしうんと云ってすぐ承知するかね。なかなか動かない人だから、ことによるとむずかしいね」
Hさんの言葉には自信がなかった。
「あなたのおっしゃる事なら素直《すなお》に聞くだろうと思うんですが」
「そうも行かんさ」
Hさんは苦笑していた。
表へ出た時はかれこれ十時に近かった。それでも閑静な屋敷町にちらほら人の影が見えた。それが皆《みん》なそぞろ歩きでもするように、長閑《のど》かに履物《はきもの》の音を響かして行った。空には星の光が鈍《にぶ》かった。あたかも眠たい眼をしばたたいているような鈍さであった。自分は不透明な何物かに包まれた気分を抱いた。そうして薄明るい往来を三沢と二人肩を並べて帰った。
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