2008年11月5日水曜日

十四

 そのうち三沢が帰って来た。近頃は身体《からだ》の具合が好いと見えて、髪を刈って湯に入った後の彼の血色は、ことにつやつやしかった。健康と幸福、自分の前に胡坐《あぐら》をかいた彼の顔はたしかにこの二つのものを物語っていた。彼の言語態度もまたそれに匹敵《ひってき》して陽気であった。自分の持って来た不愉快な話を、突然と切り出すには余りに快活すぎた。
「君どうかしたか」
 彼の母が席を立って二人差向いになった時、彼はこう問いかけた。自分は渋りながら、兄の近況を彼に訴えなければならなかった。その兄を勧めて旅行させるように、彼からHさんに頼んでくれと云わなければならなかった。
「父や母が心配するのをただ黙って見ているのも気の毒だから」
 この最後の言葉を聞くまで、彼はもっともらしく腕組をして自分の膝頭《ひざがしら》を眺めていた。
「じゃ君といっしょに行こうじゃないか。いっしょの方が僕一人より好かろう、精《くわ》しい話ができて」
 三沢にそれだけの好意があれば、自分に取っても、それに越した都合はなかった。彼は着物を着換ると云ってすぐ座を起《た》ったが、しばらくするとまた襖《ふすま》の陰《かげ》から顔を出して、「君、母が久しぶりだから君に飯を食わせたいって今|支度《したく》をしているところなんだがね」と云った。自分は落ちついて馳走《ちそう》を受ける気分をもっていなかった。しかしそれを断ったにしたところで、飯はどこかで食わなければならなかった。自分は瞹眛《あいまい》な返事をして、早く立ちたいような気のする尻を元の席に据《す》えていた。そうして本棚《ほんだな》の上に載せてある女の首をちょいちょい眺めた。
「どうも何にもございませんのに、御引留め申しましてさぞ御迷惑でございましたろう。ほんの有合せで」
 三沢の母は召使に膳《ぜん》を運ばせながらまた座敷へ顔を出した。膳の端《はし》には古そうに見える九谷焼の猪口《ちょく》が載せてあった。
 それでも三沢といっしょに出たのは思ったより早かった。電車を降りて五六丁|歩《あ》るいて、Hさんの応接間に通った時、時計を見たらまだ八時であった。
 Hさんは銘仙《めいせん》の着物に白い縮緬《ちりめん》の兵児帯《へこおび》をぐるぐる巻きつけたまま、椅子《いす》の上に胡坐をかいて、「珍らしいお客さんを連れて来たね」と三沢に云った。丸い顔と丸い五分刈《ごぶがり》の頭をもった彼は、支那人のようにでくでく肥《ふと》っていた。話しぶりも支那人が慣れない日本語を操《あや》つる時のように、鈍《のろ》かった。そうして口を開くたびに、肉の多い頬が動くので、始終《しじゅう》にこにこしているように見えた。
 彼の性質は彼の態度の示す通り鷹揚《おうよう》なものであった。彼は比較的堅固でない椅子の上に、わざわざ両足を載せて胡坐をかいたなり、傍《はた》から見るとさも窮屈そうな姿勢の下《もと》に、夷然《いぜん》として落ちついていた。兄とはほとんど正反対なこの様子なり気風なりが、かえって兄と彼とを結びつける一種の力になっていた。何にも逆《さか》らわない彼の前には、兄も逆らう気が出なかったのだろう。自分はHさんの悪口を云う兄の言葉を、今までついぞ一度も聞いた事がなかった。
「兄さんは相変らず勉強ですか。ああ勉強してはいけないね」
 悠長《ゆうちょう》な彼はこう云って自分の吐いた煙草《たばこ》の煙を眺めていた。

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